1年ぶりで、小中学の同窓生十数人と会いました。
5クラスあった母校は、今2クラスになっていることを知りました。3年間籍を置いたサッカー部も今はないということです。
会の後で一人、夜の学校に行ってみました。
誰もいない夜の校庭は、見慣れない周りの屋並みと調和せず、そこだけ不自然に時間が止まったように、静かに私の前にありました。
朝帰り。昼に、ニョッキのパスタを食べました。
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東京ドームに、行ってきました。
長男と一緒に少年野球をやっていた子が、選手として出場する試合の応援です。
雨天でもないのに日中多大な電力を使って照明を灯し、空調装置を稼働させる巨大な施設で、攻守の切替時にチアガールがアクロバティックな演技をしていました。
何だろう、ちょっと妙な感じがしました。
そんなこととは無関係に、選手は集中し、試合は続けられ、そして勝者と敗者に分かれます。
夢は別のところにあったのかもしれませんが、小学生の時から一筋に自分のやるべきことをやってきた人間の舞台姿を見て、すごいなと思いました。
今日は、ささみとトマト、水菜のスパゲティになすのオードブル。
子どもと、絵本原画展を見に行きました。
板橋の美術館まで片道30分ほど。自転車をこぎ、のんびりと話をしながら。
目的はボローニャ国際絵本原画展で選ばれた作品を見ることでしたが、その行き帰りを含めた時間が二人を繋ぎ、それぞれの心に豊かな潤いを残してくれたように思います。
人と時間を共に過ごし、その記憶がどこか自分の内の深いところに降りて、層を成していく。それは具体的な一つ一つの思い出の在処(ありか)というよりは、懐かしい手触りのする柔らかなわた雲のようなもの。
ゆったりと過ごした時間は、心を育みます。時は贈り物。大切に。
出来ました。タンドリーチキンです。
今日は、家内の誕生日会。
子供がメインディッシュのカレーを作り、私は魚のカルパッチョとタンドリーチキンに挑戦します。それぞれがそれぞれの思いを込めて。
祝う、とは広辞苑によると「吉事、安全、幸福を求めて呪術を行い、守るべきことを守る。転じて、吉事をことほぐ(言葉で祝福)の意。」とあります。
皆が勝手にわくわくしながら準備をし、集まって楽しく料理をいただき、盃を重ね、プレゼントの品評を行う。食卓を囲んで。
現代の呪術です。
クミンシード、ナツメグ、チリ、パプリカ、コショウ、塩、摩り下ろしたにんにくと玉ねぎをヨーグルトと混ぜ合わせたタレに一晩漬け込んだ鶏肉です。あとはオーヴンで焼くだけ。美味しくできるかな?
8月になりました。6,9,15日。8月は、私たちにとって戦争の月でもあります。
ところで、良い戦争と悪い戦争と、あるのでしょうか。
これを、良い暴力と悪い暴力があるか、という問いに置き換えてみます。
慈悲や優しさを込めて、相手の顔面を殴ることができるでしょうか。できないと思います。
そして人はその時点で変容し、以前の安らかな生活には戻れないように思います。
良い暴力もなく、良い戦争もない。勝ち負けに拘らず、もたらされるものは人の心の荒廃だけ。
プルートは「憎悪からは何も生まれない」と言いました。アトムはその声に従って、自己の内から湧き上がる暴力を抑え込みました。
私たちに、できるでしょうか。
私は、暴力を抑え、暴力を超えるための不断の努力と叡智が人を人としていくと信じています。そのために何をなすべきか、一夏じっくり考えてみませんか。
夏の味。葉生姜ときゅうりに味噌をつけて、ガブッ。何を考えるのやら。