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昨日、母校を訪れ、友人と歓談しました。

年に一度学校に行って、一人ならば本を読み友が来れば話をする、ことを3年前からやっています。

今は非日常となった、かつて生活の全てであった場所に身を置き、静かに自分と向き合うのも悪くないと思います。

とは言え、詰まる所酔いつぶれて、二日酔いの朝を迎えるに過ぎないのではありますが。

おやつに、ポップコーン。とうもろこしをレンジに入れて、チンして出来上がり。
ポップコーン_091129
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美とは、残酷なものだと思っていました。

相対的なものであれ絶対的なものであれ、美しくないとして切り捨てられるものは必ず存在します。嫌悪の情とともに。

しかし、それは表面的なことなのかもしれないと考えるようになりました。フランシス・ベーコンの美についての定義「優れた美で、釣り合いのなかに異様なところ(ストレンジネス)のないものはない」を知ったからです。

美には、その根底に真実のコアのようなものが隠されていて、一瞬にして非日常を照らし出し、心を揺さぶる、奥深い輝きがあるのでしょう。

心を磨き鍛えていないと、美を前にして、美に出会うことはできなかった。輝きに気付くことができなかったようです。

青森でいただいたヤーコ(アンデス芋)を天婦羅にしてみました。シャキシャキしていて甘く、美味しかったです。
ヤーコ_091122-2
「どんどん不幸になる女性たち」という記事を読みました。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2088

「(米国人女性は)常に他人と自分を比較し、競争し、勝った負けたの中で自分の価値を見出している印象がある・・・自己実現やスーパーウーマンになることそのものが人生の目的になっている・・・女性にとって、米国は、心の安らぎを得るのが難しい社会だと感じることが多い」
「男性たちはそうした女性と一緒にいると、「時々、自分が、彼女たちの夢や目的を実現するための単なるツールになっているような気がする」と言うのだ。「こうあるべき」という人物像になるためには男性が必要だから、自分と一緒にいるのだろうという気持ちになるらしい・・・これは、かつて女性が男性に対して抱いていた不安である」

戦うことは重要だと思いますが、“道からそれて、ゆっくり息をつく”こともまた、大事なことのように思います。尤もそのためには“勇気”が必要ですが。

先週、青森でりんご狩りをしてきました。そこでは時間はゆったりと流れ、ぎしぎしと音は立てていません。素敵な人たちの、気の置けない笑顔がありました。ただ、地味な、他人に振返ってはもらえない、日々の不断の努力は求められます。

山形のおみ漬けをフランスパンで挟みました。和と洋のハーモニー。日曜のお昼です。
おみ漬けとフランスパンのサンド_091115_2
夏にテレビで見た「火垂の墓」が、ずっと心から離れずにいます。

親を失い、自分たちの力で生きようとする二つの幼い意志と周囲との絶望的な距離は埋まることはなく、戦争終結を待たずして二人は他界してしまいました。

身の程知らずの愚か者、と切り捨てることは容易です。どの道、我儘は通りません。

しかしながら、私は短い生を二人で生きたその時間に、深く心を惹かれます。

先週調理したホットチェリーボンの原型です。やはり、ししとう、でしょうか。
ほっとちぇりーぼん(ししとう?
ワンピース第561話 “ルフィーVSミホーク”。

ルフィーの運命を見極めようとする鷹の目ミホークは、言っています。

「能力や技じゃない。-その場にいる者達を次々に自分の味方につける」
「この海においてあの男は」「最も恐るべき力を持っている…!!」

衒いのないルフィーの自然な振舞いが、人を巻き込んでいきます。

前へ前へと進んでいく清々しいエネルギーが、人を惹きつけ、求めずとも助力となり、やがて大きなうねりになっていくのでしょう。

表紙ではチョッパーがハローウィンのかぼちゃを被って、何だか妙に凄んでいました。

ホットチェリーボン(ちょっと辛口の小さなピーマン。ししとうかな?)を豚肉に添えて。
ピーマン_091101_2