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今年の初め、ソニーの出井さんが「百年に一度の不況とは“うそ”」で実態は構造変化なのだと言っていたことについて書きました。

岩井克人は「売ることの困難が経済全体に拡がった恐慌とはまさに資本主義の危機であるにちがいない。(一方)恐慌とは、人々が本来は商品の媒介でしかない貨幣をより欲しがっている状況で、資本主義社会の永続を欲していることを意味している。モノよりも資本主義社会のほうが信頼できる、だから、貨幣さえもっていれば大丈夫だというわけである。実際これまでの歴史をみると、恐慌でつぶれた社会はない。」と言っています。

人々は右往左往するけれども、マネー教の強力な支配と庇護の基、社会は崩壊しない。構造変化とは、新種のビジネスの出現とそれに対応できない人々の、社会の表舞台からの退場ということになりそうです。

それでよいのでしょうか。

私たちが今なさなければいけないことは、困難の本質である貨幣からの支配を脱し、適切にコントロールする新しい秩序を皆で創っていくことだと思います。

本年1年お付き合いいただき、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

篠田の陶芸教室「高ボッチ陶芸倶楽部」。手本を見せているところです。
篠田陶芸教室3

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学生時代の友人が、ライブハウスで歌を歌うのを聞きに行きました。

19時30分から21時までピアノとハープの演奏に合わせて歌い、自然体のおしゃべりを交えながらのステージに場内は一体となり、ゆったりと時間が流れていきました。

年齢を重ねるにつれ、濾過され蓄積されてきた人生の時間が歌い手の体の中から旋律となって湧き上がり、それがそのまま直接、聞き手の体に取り込まれていくような心地よさを感じました。“恋に落ちて”というデビュー当時の歌も、そのころとはまた趣の異なるものとして、心に染みました。

時は人生の贈り物。大切に。

篠田の創った皿、あざみの湯飲みとガラスの花瓶。偶にはただ眺めるのもいいかな。
皿・あざみ茶碗・花瓶
老子の言葉だそうですが
「人々は生路を歩もうと願いながら、知らずに死路を走っている」
というのがあるそうです。

資本主義とは、そうしたものかもしれません。競争原理は、付加価値創造や経済成長のためとの大義を背負った投資を無闇に加速させ、詰まる所、人心を荒廃させ資源を浪費し、そうして今、多くの国の多くの人たちが苦境を迎えつつあります。

機械化や規模の経済は人々の生活を嵩上げし、多くの人たちが労働時間を低減させ、余暇を享受するというストーリーがあったように思います。確か、ラッセルもそんなことをどこかで書いていたような気がします。

その話は、何処へ行ってしまったのでしょうか。

私たちの生活にストーリーを取り戻し、ゆったりと生路を歩みたいものです。

干したぜんまいを水で戻し、2度茹した後、油揚げと炒め煮してみました。初めての挑戦でしたが家族に「おいしい」と言われ、ちょっと嬉しい1日でした。
ぜんまい煮_091213-2
JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが科学技術の専門家として事業仕分けに参加し、こんなことを言っています。

「科学技術の重要性を否定した仕分け人はいません。大事なのだから、もっと有効に限られたお金を使おうという努力です。そうそうたる学者や学長が、頭ごなしに「科学技術の大事さがわかっていない」とおっしゃる姿には違和感を覚えました。お金でなく、研究の魅力を語り、それへの共感を基本に、この国の学問をそだてようと提案してほしかったです。」

優れた人も、常に真理を体現している訳ではないようです。個別の利害から、皆混乱しているのですね。それぞれの立場で発言しなくてはいけないことは自ずと異なるので、ひょっとすると誤解を覚悟で、ある動きを牽制する必要からメッセージを発しているだけなのかもしれませんが。

そして、こうした発言が政治決着への動きを助長することに対し「透明性を持って専門家の意見を聞くことなく政治判断だけで結論を変えたのでは、日本の予算作りのシステムを変えるきっかけにしたいと思って参加したのに、何のためだったのか分からなくなります。」と続けています。

単なる政治ショーに、貴重な頭脳を浪費させてほしくないものです。

今日はシチュー。あつあつを召し上がれ
シチュウ_091206-2