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バンクーバー・オリンピックも残すところ、あと一日となりました。

腰パン(Sagger)ファッションで注目を集めた人がいたり、宿敵を倒した直後、氷上で葉巻を吹かしシャンパンを飲んで4年間積み重ねてきた全てを喜びとともに爆発させる人もいたりと、ドラマの前後にちょっとした驚きや当惑がありました。

参加した人、見るだけの人、無関心の人、開催されていることすら知らない人(ひょっとすると一番多いかもしれない)。拘り方は、人それぞれ様々だと思います。

私は、結果を常に求められるアスリート達が雑音を余所に、揺るぎない信念を持ち、可能性に果敢に挑戦する姿に、人の進むべき道を見ました。

外は雨。今日は、きりたんぽで一杯。
きりたんぽ_20100228
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一時世の中を騒がせた、国母選手のオリンピックは終わりました。

ネクタイを緩めて、制服のズボンを下げて歩いている高校生はどこにでもいます。国母選手にとっては、ごく普通の行動だったのかもしれません。国を代表(represent)する者として相応しくないと凶弾され、開会式に出られなかったスノーボーダーは、その意味で、今の日本をrepresent(表象)しているように思います。

制服のズボンを下げて歩くことが良くないことならば、日常において正さなくてはいけないはずです。これは当人たちよりも、むしろただ見ている私たち自身の問題ではないでしょうか。だらしない若者だと切り捨てる前に、私たちにはすべきことがあり、また責任があります。国母選手個人の引き起こした騒動ではありますが、実は私たち自身が自らを省みなくてはいけない事柄のように思います。

そして、外から圧力が加わると直ぐに身内に手を挙げ、ひたすら詫びてその場を遣り過ごそうとする卑しい奴隷根性を捨て、普段は内に厳しく、批判を受けたら身内を庇い、背筋を正していたいものです。

先週に引き続き、かぼちゃです。シンプルに醤油とみりんで味付。
かぼちゃ_20100221 5
布施明が、こんなことを言っていました。

「心はどんどん動かなくなる。きれいな物にはたぶんトゲがある、と身構える。ダム湖に沈む夕日を見てもこのすばらしい景色の裏には利権があるかも、と考えてしまう。でも不思議と、若いころに戻りたい、とは思わないんだ。」

私は、未だに自分が小学生であるように錯覚する時があります。当然錯覚で、みずみずしい感性はそこになく、子どもでありたいというある種強迫観念のようなものが怨念のようにこびりついているだけなのでしょうが。

大人になりたくないんです。いつも仮面をかぶり、世の中きれいごとじゃ通らないと自分に嘘ばかりついて目先の利害に終始し、自分より弱い人たちを攻撃することで保身している、心を失った大人というものに。

トゲに刺されたら、にっこり笑って指をしゃぶって。それじゃいけませんか。

かぼちゃを頂いたので、ほうとうをイメージして味噌仕立ての水餃子を作ってみました。
味噌したて水餃子_20100214 全体
マイクロクレジットの手法を開発したグラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌスの自伝を読んでいます。その中に、こんな内容の話があります。

子供の半数以上が栄養不良の状態に置かれているフィリピンのネグロス島の貧困問題に対処するために始められた、ダンガノン計画というプロジェクトがある。プロジェクトは、1993年、IFDA(国際農業開発基金:国連の組織で、農村の貧しい人々を助けるために設立)に緊急の資金援助を求めた。4度にわたり使節団が送られたが結局資金は提供されなかった。

情報の非対称と富の偏在が生み出している、構造的な問題があることがよく分かります。援助の名の基に国際組織によって資金が浪費され、りっぱな報告書を書くことのできるソフィスティケート(狡賢い)されたコンサルタントの懐は肥やされますが、援助されるべき人々は援助されていないのです。お金が行くべき所に、行かないのです。

使節団を派遣する費用をそのまま援助資金としていたら、一体何人の人生が救われていたのでしょうか。私たちが必要な仕事と看做していることの多くは、省いた方が良いものなのかもしれません。そして、お金の使い方、回し方、考え直さないといけませんね。

花瓶とグラス。世界の喧騒を遠く離れ、静かな一日。
グラス_花_花瓶_20100207 2