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修理に出していたPCが、戻ってきました。
サクサク動くので、嬉しいです。

NHKのようこそ先輩に、“がーまるちょば”が出演しているのを見ました。

ご存じの方も多いと思いますが、“がーまるちょば”はパントマイムをしている二人組で、尊敬する日本人100人にも選ばれた、海外でよく知られたアーティストです。

パントマイムは心を伝えるもので、カタチ(技術が問われるもの。うまい、へたで評価されるもの。)ではなく演者の気持ちが大事だと子供たちに教えているのが、とても印象に残りました。泣くふりをしてはいけない。泣かなくても、泣きたい気持ちを持っていればそれは伝わる、と。

技術は、重要です。努力し、磨かなくてはなりません。
しかし、もっと大事なものが、あります。

先週、大手町サンケイビルのマルシェで買った、無農薬のいちご。
洗わずに、そのまま食べるんです。香り豊かで、とても美味しい。
無農薬いちご_20100427 12
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先週、東京で雪が降りました。4月の雪は、記憶にありません。

春の異常低温と日照不足は、野菜の高騰を引き起こしています。海を越えれば、アイスランドのエイヤフィヤットラヨークトル火山が噴火し、空の交通が麻痺しています。お隣の中国では、また地震があり多くの方が亡くなっています。

1783年、この火山に近いラキ火山の噴火がありました。ヨーロッパは数週間に亘って薄暗い靄に包まれたようです。そしてこの異常気象は食料不足を招き、フランス革命へと繋がっていきました。日本の天明の飢饉も、浅間山の噴火とともに、このラキ火山の噴出物の影響を受けたといわれているそうです。

江戸時代の百科事典に「山の芋が変じ鰻になる場合がある」と書いてあるそうです。科学を武器として多くを解明し、技術によって生活を改善してきた現代の私たちは、そんなことある訳ないだろと一笑に付すことができますが、たった一つの山が吐き出す煙に為す術もありません。

自然の気紛れに人は振り回され続けているにも拘らず、私たちは人類の成し遂げてきた成果に酔い、技術の進歩を本質的な進化と取り違えてしまっているような気がします。

自然をコントロールしようと技術に傾注することはプロメテウスより火を与えられた人間の性なのでしょうが、視座を変え、猛威を振るう自然に寄り添うような生き方(死に方)を考えてみることもまた必要だと思います。

あおやぎの酢の物を作ってみました。調べもせず、春が旬と勝手に思い込んでいます。
あおやぎの酢の物_20100418 3
湯船につかっていて、アメリカは近現代史そのものなのではないかと、ふと思いました。

今の世界は、大航海時代にキリスト者が「発見」した新世界をキリスト教的世界に統合してきた結果、と言えると思います。仏教やイスラム教があるじゃないか、ということではなく、ヨーロッパのルールによる植民地化を通して世界が日常の基礎的なところで同一化してきた、という意味です。

アメリカは、大航海時代が生んだ国です。ヨーロッパを祖とする人たちが他人の土地で植民し、独立と称して国家を作ったものです(人類の歴史は植民と戦争の歴史で、皆似たり寄ったりなのでしょうが)。広大な土地には、生きるための様々な方法や原理があったと思いますが、それがハワイ併合までの300年(独立からだと100年)掛けて、キリスト教的世界観に統合されてしまった訳です。

大国、強い国のイメージで語られることが殆どですが、アメリカの本質はこの点にあり、以後世界を表象してきたのだと思いました。

アメリカが弱体化しつつあるとすれば、こうした世界原理が維持できなくなってきたということなのでしょう。

因みに日本は鎖国により一旦は独自性を維持したものの逃れられず、明治維新により中途半端な形で世界に巻き込まれ、第二次世界大戦の敗戦を経て今日に至っています。

春の味のスパゲティ。桜エビと春キャベツを塩味で、あっさりと。
桜エビと春キャベツのスパ_20100411 4
先週、馴染みのお豆腐屋さんが店じまいをしました。

湯気の出ている出来たての豆腐や油揚げ、とても美味しいですよね。豆腐はクリーミーだし、油揚げは柔らかく、ふっくらとしていて、そしてジューシーです。初めて食べた時、今まで食べていたものは何なのだろうと思いました。それが、もう味わえない。

2008年11月の”おからを作ってみました”で、こんなことを書いています。

「途中、たまに豆腐屋さんによって、木綿豆腐屋や油揚げを買って帰ります。その時、おじさんかおばさんとちょっとした会話をするのが常ですが、何となく豊かな気分になります。言葉を交わすことで、物を買うという行為が人と人を繋ぐふれあいに転化されるように感じます。」

スーパーでは食材が並んでいるのを拾って歩いて、レジでお金と交換するだけ。全て自分の都合。無機的に、事は進んでいきます。街のお店では、都合が合えば作りたてを手に入れることができるし、運が良ければオマケを貰ったり、楽しい会話を楽しんだり、時につまらないことをして怒られたりします。

街は生きていて、何時も違う顔を見せてくれます。人を通して時時、変化します。何時ものおじさんがいるのですが、一方で昨日のおじさんはいないのです。おじさんは、おじさんのリズムで作り、売り、笑い、怒る。私は、私のペースで店を訪れ、注文し、買う。シンクロする時もあれば、ずれて咬み合わない時もある。

自分の都合では、動かない。そこに、人の生活がある。

そんな街が、消えていくように思います。

江戸の庶民が好んで食べたという「八はいどうふ」を作ってみました。おじさんの豆腐ですが、いつもの木綿ではなく絹ごしです。
八はいとうふ_20100404 5