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沖縄から、泡盛が届きました。

沖縄戦で、泡盛を作るための黒麹菌は壊滅したといいます。那覇にある瑞泉酒造が、東京大学に保存されていた黒麹菌を用いて戦前の味を再現していると聞き、ストーリーに惹かれ取り寄せました。
http://www.zuisen.co.jp/index.html

地上の争いに巻き込まれ、滅びるものあり。
それを知ってか知らずか、護ろうとする者あり。
そして、過去を未来に伝えようとする者あり。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、「私の使命は宇宙にへこみを作り、世界を変えることだ」と言っています。人々が個々人でははっきりと示せないけれど深く欲している何かを具現化し、目の前に差し出してみせることは“創造”です。ジョブズは、確かにそれを成し遂げています。

人にとって“未来”とは時間の話ではなく、作っていくもの、だと理解しています。それには、欲している何かを新たな形として具現化することと、信じる何かを現実のものとしていくことと、二つあるように思われます。

世界を変えようとするとき、欲していないものや私たちの視界から消えてしまっているものがあることに強く意識する必要があると、泡盛をいただきながら、ふと思いました。

5/29(土)神保町のすずらん通りのお祭りで買った無農薬のねぎを
豚肉と炒めて、いただきました。瑞泉の泡盛「青龍」を飲みながら。
無農薬ねぎと瑞泉_20100530 2

友人が、最近、以下のサイトを立ち上げました。彼も世界を変えたがっています。
■受験感動サービス【東大ノート】
http://www.todainote.jp
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先週、NHKの番組「心の遺伝子」でヨットの多田雄幸さんのことを知りました。

“自然に遊ばせてもらう”という心の在り方を、人生の舵とされていた方です。船板一枚下は地獄と言われる海で厳しく鍛えられた精神を持っているからこそ口にできることだとは思いますが、素敵な思想ですね。

多田さんはヨットを自分で作り、そのヨット「オケラ五世号」で世界一周単独ヨットレースに出場し、優勝しました。その後再び挑戦するのですが、有名になった多田さんにはスポンサーがつきました。この時、多田さんのヨットは180°方向転換します。遊ばせてもらっていた自然に、闘いを挑むことになったのです。スポンサーへの責任から、速度を優先した“勝つための”ヨットを作り、自然と闘い、敗れ、寄港地で自ら命を絶たれてしまいました。

飄々と人生を楽しんできた多田さんは成功という魔物に襲われ、目的を異にしたものを背負込み、自由を失い、残念ながら人生をリバースされてしまいましたが、人生の達人としての心は、弟子の白石康次郎さんに引き継がれています。

私たちも“自然に遊ばせてもらう”という豊かで謙虚な多田さんの心を少しだけ、分けていただきましょう。

山形の伝統野菜“うこぎ”のおにぎりです。ちょっと苦味があって、美味しい。
うこぎのおにぎり_20100517 1
最近、私はalternative lifeということを考えています。

alternative investment(オルタナティブ・インベストメント)という概念が、金融の世界にあります。伝統的な投資対象と相関しないものへの投資(実物投資など)のことですが、ここで言うAlternative(代替)とは、古典的な世界とは全く別の世界があり得るという意味に、私は理解しています。

資本主義という思想の根源にあるものが、人を量に還元することにあると考えています。コスト、リターン、リスクで物事を見ていく時、人は投入コストとして数値化されます。ここで、人は物(モノ)になる訳です。

人を量に還元しないこと。

持続可能な循環的社会とは、根源的な問いを問わなければ見えてこない、人が人とは何かを確信し、皆で歩んでいく全く新たな人類のプロセスであるように思います。

焼そら豆にジェノベーゼソースを掛け、チェダーチーズをトッピング。
先輩のお店で教わった、初夏のレシピ。
そら豆のジェノベーゼソースチェダーチーズ_20100517
スウェーデンの作家アニカ・トールの代表作「ステフィとネッリの物語」を読みました。

ウイーンの裕福な家庭に生まれたユダヤ人姉妹、ステフィとネッリがナチスの迫害を逃れスウエーデンに渡り、貧しい小さな島の別々の家庭に引き取られ、全く異なった環境の下で成長してく物語です。

強いられた生活環境において、二人は、働き、学び、考え、他者とともに生きていくことによって、自分自身の未来を築いていきます。選択可能な人生を。

人生とは旅であり、それには強いられた旅と自ら選んだ旅の2種類あるとアニカ・トールが言っていると聞きました。私は、人生とは死へ向かう強いられた旅、だと思います。そして、生は死を必然的に含む自らが望んで出発した旅では無いという事実を受け入れることで、私たちは初めて人生を選択できる自由を得ると考えています。

ところで、私にはメインストリームと別のところが気になる癖があります。

女優を夢見る、心優しいヴェーラというステフィの友達が登場します。島から都会に出てきた、美しく魅惑的な故にどこか危ういところのある少女。グラビア写真を撮ると言って近寄ってきたカメラマンと、半ば強制的、半ば騙されたような状況で関係を持ちます。彼女は妊娠した場合に備え、直ぐに父親となれそうな別の男と関係を持ち、その後どちらの子か分からない子を身に宿し、家庭を持ちます。未婚の母の娘として差別されて育った彼女には、何よりも父親がいるということが、人生の重大事なのです。

自己を実現することには固執せず、宿った生命を選択可能な最良の環境の下で育てていこうという彼女の選択に、惹かれるものがありました。

子どの日に、子どもが作った柏餅を大人がいただきました。
菊香の作った柏餅_小皿_20100505

書き始めて1年半。ブログタイトルについて、ちょっと考えてみました。

きっかけは、公害は企業倫理の問題だとされているが、むしろ個人の倫理の問題として考えるべきものではないか、という小論を読んだことでした。

ラファルグによれば、労働者は大量消費者として位置づけられ強制される、即ち、欲望を刺激され、自発的に買い続け、そして捨て続ける。公害は、まさに資本主義段階の現象だと。

すると、自然的環境に対する人間の力の必然的限界をわきまえた倫理とは何か、私たちはどのように生活すべきか、が問題となってきます。

最近、農業に関心を持ち、すこし活動しています。

土から命を育み、私たちの生きる糧とする農業。農業もまた、資本主義の毒牙に苛まされていますが、ラファルグの問題提起に沿って何が出来るのかを考えています。

大手町のマルシェで買った、無農薬のとまと。小さな穴は美味しさの証拠。
糖分が中から弾けてくるんですって。
無農薬とまと_20100502 5