FC2ブログ
昨日、こんなメールをいただきました。

「大井さんの恐い雰囲気を、いかにフレンドリーにするか・・(笑)」

なによりも先ず、自分を変えること。

自分を超えることが、出来るか。

今年は、死にかけた親父に生きる力を貰った年でした。
来年は、チャレンジの年とすることに決めました。

昨日のカレーなべが残りました。温めて朝ごはん
人が動くと必ず何かが残ります。これをどうするか
最も重要なテーマではないか、と思い始めました
カレーなべの残り_20111226 3
スポンサーサイト



同志社大学ラグビー部が、Bリーグチームとの入替戦を戦ったとのニュースを聞きました。

家内は「自由を標榜している学校は今は駄目。今の人は絞めなきゃ、駄目だ」と言いました。私は「全ては変わる。同じことを続けていたら、同じことは実現できない。変化に対応して、方法やひょっとしたら考え方を変えないと、同じことを為し続けることは出来ない」と返しました。

実際に何が起こっているのか分かりませんので全く見当違いの話をしているのかもしれませんが、環境は時々刻々と変化しているので、過去の延長では何事も為し難いものです。リベラルであり続けようとするにせよ、強いラグビーを維持しようとするにせよ。

今までこうだった、では対応できません。自ら変わらない限り、今までのポジションには居られない。

花園の直売所でトマトを買いました。とても甘い。
そのトマトでソースを作り、パスタに。
レシピ通りに作ったら同じ味は出せない、と聞いた
ことがあります。そもそも素材の味は一様でない。
産直とまとのパスタ_20101220 2
母、子、父の間に、ちょっとした諍いがありました。

「早く帰って来なさい。帰れないなら、止めなさい」「これをやって、あれをやって、その後で行くから、そんなに早く帰れません」「やれと言われて、何時でもハイと言ってその通りしなくてはいけないの。何故」「叱れば、ただ反発するだけだ」「じゃあ、あなたが全部上手くやってよ」

それぞれがそれぞれに「これは、こうだ」と強く思い、口にした、論理と感情が交錯した中での、何時ものことと言えば何時もの出来事です。

子供は遅く帰宅し、母は口を利かず、父に促され子供はその母に「遅くなってゴメンなさい」と言い、会話なくそれぞれが部屋へと引き取りました。

どうせ返事をしないのだから謝りたくないと言った子供に、父は、遅くなり、心配を掛けたのだから、謝ることはしなくてはいけないことではないかと問いかけました。何時も怒鳴ってばかりで周りのことを考えない、他人を怒らせることを特技とするあなたに言われても説得力は無いとしながらも、子供は渋々応じたのでした。

相手に振り向いてもらいたいから、何かをするのではない。自分のこころの中に、どうしてもしなくてはいけないと感じる小さな、直ぐに消えてしまう引っ掛かりのようなものが生じて、人は謝ったり、ありがとう、と言ったりするものなのでしょう。

この小さなものを消さないこと。とても大事なことのように思います。

母(家内)が作ったグラタン。こころの中で、いただきます
口を利かない母の作ったグラタン_20101212
先日最高裁から通知が来て、裁判員候補者名簿に登録されたことを知りました。

来年、裁判に立ち会うことになるかもしれません。以前「死刑絶対肯定論」の続きを書くと言いましたが、自分が当事者となることを想いつつ、今日、その約束を果たそうと思います。

美達大和の議論のベースは、ハムラビ法典の「目には目を。歯には歯を」にあります。ハムラビ法典は報復法ではなく、加害者に対する刑罰が受けた被害より大きくならないように、報復の連鎖を防止することを目的として制定されたと美達は書いています。罪刑均衡の原則に立ち、殺人には死を以って償うことが妥当との議論です。

美達は、服役して初めて軽量が軽すぎると感じたと言っています。自身の刑務所での日常を通して考え、また他の服役者の様子を実際に見、話を聞くという体験から、加害者の更生に重点が置かれがちな日本の一般的傾向に、懐疑的です。アメリカの「刑罰量定改革法」「三振法」やイギリスの「ツー・ストライク法」を例にとり、犯罪多数回再犯者が多い日本の現状を改めるべきだと主張しています。

市民社会とは、自分は常に蚊帳の中にいて安穏な生活を送り、厄介事は全て他人に任せるもの、ではないと思います。時に社会の一員として現場に立ち会い、責任を負うべきものだと思います。

実際選ばれたら正直怖いけれど、勇気を持ち、先入見を排除し、論理に耳を傾けようと思います。

頂いた里芋の最後の二つを豚挽で煮ました。家
内が美味しいと言って、殆ど食べてしまいました。
里芋_20101205 4