FC2ブログ
学生時代の友人が一人、亡くなりました。

30年会わず、その間思い出すこともなかった幾つかの光景が、頭の後ろの方で鮮やかではあるけれども、鈍く重く、繰り返し映し出されます。

幾ら手紙を出しても宛先不明で戻ってきてしまう、慰問のない苛立ちの中に取り残されてしまいました。この静かな苛立ちは、私が消えて行く時に誰かに渡すまで、私を私というものにする必然としてあり続けるのでしょう。

シンプルなものがいいかなと思い、お芋を蒸か
し、友の焼いた器に盛りました。召し上がれ。
いも_20110130 2
スポンサーサイト



CSI NYを見ていたら「正義とは良心だ」というセリフに出会いました。

何故殺したのかと質問され「正義を実行した」と答えた殺人犯の女性に対して、殺人を犯したものが罪を償わず生きているからといって、殺された人の知人が犯人を殺すことを正当化できないと調査官が返した言葉です。この言葉を聞き「罪を憎んで人を憎まず」についてもう一度考えました。

社会を作り、国を作り、これを維持していくために、ルールを作った。
人が人を裁く必要が、ここにあります。

「其ノ意ヲ悪ミテ、其ノ人ヲ悪マズ」とは、犯罪を犯した人間にはそれなりの理由や覚悟があるはずだから、その人を犯行に追いやった理由を憎みなさい、という程の意味でしょうか。

ハムラビ法典が普遍的なルールブックだとすると、孔叢子刑論篇は、時々刻々変化する人の世を基軸に物事を良く分析し、考えろ、と相対的規範を説く書として対置できるように思います。

人とは、共同幻想の中で何かに繋がりながら生きて行くものだとすると、「赦す」という視点、行為が重要なのかもしれません。

ベーコンとオータムポエムを塩で炒め、茹でたてのパ
スタと和えただけのシンプルな料理ですが、美味しい
お試しあれ
オータムポエムのパスタ_20110123 7
絶滅したはずの魚が生きていた、という吉報が届きました。

田沢湖にだけ棲息していたクニマスです。戦時の国策で、農業用水を確保し発電用貯水池を作るため、近くを流れていた酸性度の高い玉川の水を引き入れ、田沢湖の酸性度が高まったためにクニマスは生きる場所を失いましたが、遠く離れた西湖で生きていたということです。

一つの種が滅亡を免れていたことは喜ぶべきことですが、人の勝手で豊かな自然を破壊し、棲家を奪い死地に追いやる一方で、よかったよかった、ではあまりに無邪気に過ぎると思いませんか。

何かを為せば、別の何かが起きる。
プラスが生じれば、マイナスもまた生じる。

何もするな、とは言いません。

負の効果に、目を逸らさないこと。
これが大事だと思います。

青山のマルシェで、無農薬のかぼちゃを買いました
勧められレシピがソテー。甘くて美味しい。酒の肴?
かぼちゃのソテー_20110116 3

いつも笑顔で野菜を売っているヴェジキュー田村さん
http://www.vegekyu.com/
ヴェジキュウー_20110116_青山マルシェ 3
高瀬舟を読み、“「死には死を」ならば、森鴎外の高瀬舟はどうなんでしょう・・・”とのご質問について考えました。

「奪ったものは、返してもらう」ことがルールならば、自死を除き、殺人を犯した者には、如何なる理由があろうとも死によって罪を償う以外の選択肢は無い、ことになります。

鴎外の高瀬舟では、時の「オオトリテエ」(お上、裁きの執行者)は罪一等を減じ、弟を殺した喜助に死罪ではなく遠島を命じました。シンプルに考えて、これはルール違反です。

“生きることが苦しいから死なせてくれ”と言う程に苦しんでいる人は、実際にいると思います。しかし、だからといって“殺していい”とはならない。自分で最期の時を決めればよいのです。人の苦しみを取り除くことは神の領域の話で、人が関与すれば、その人の手には血がこびりつき、洗い落とせるものではありません。

ところで、高瀬舟とはどういう話なのでしょうか。
喜助の話を信じるか、信じないかで、全く異なったメッセージを受け取ることになります。

今日、私は以下のように読みました。
「どこやらに腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかった」という件から、庄兵衛は「足るを知る」と思われた喜助に、こんな生もあるのかと一旦は驚愕するものの、出来過ぎた安楽死の話を聞き、人とは様々なものに執着せざる得ず、そのために「欺懼」を持ち続けるものであり、その生の本質はやはり苦であろう。世の中というカラクリの中で、所詮、悲苦して生きて行く他はないと結論付けたのではないか、と。

ちょっと遅目の七草粥。飲み疲れた胃に、労りを。
七草粥_20110109 2
あけましておめでとうございます。

夜明け前の薄暗い道。毎朝の運動でしょう、ご老人が杖をつきながら歩いて来て、すれ違いざまに大きな声で「おはようございます」と私に声を掛けられました。「おはようございます」と返します。

何とも言えず、気持ちのよい朝。
そんなささやかな喜びをもって、新しい年を迎えました。

たかが挨拶ですが、出来たり出来なかったり、これが結構難しい。
ささやかなことを続けていくことが、大事だと思っています。

正月は,家内の手作りおせちで、一日のんびりと。
おせち_20110102 2