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ムバラク政権が倒され、カダフィ政権が終焉の時を迎えています。

暗殺されたサダトの後継者として30年、エジプトを統治したムバラク元大統領とクーデターにより国王を追放した後40年、リビヤに君臨したカダフィ大佐を同列に並べることが果たして妥当かどうか、知識のない私には分かりません。ただ少なくとも皮相においては、一人の統治者を頂点として安定していたピラミッドが崩壊し、閉じ込められていた様々なエゴが活動を開始し、ある種のカオスがアラブ系のイスラム国家に発生したことは共通しています。

1916年に結ばれたサイクス・ピコ協定を下敷として、欧米支配を前提とした20世紀的な思考に従って観るのか、21世紀の社会を如何に構築するかといった視座から観ていくのかによって、問題は大きく変わってくるように思います。

私は、北方領土や尖閣、更に沖縄の問題とある意味で同根の事象と捉えられるのではないかと思っています。国民国家(nation)とその所有を前提とした論理で括るという意味ですが、国民国家という幻想を放棄し、世界市民という幻想を共有しようとする視点から事柄を整理し、向うべき着地点を考える時期に今差しかかっているとは考えられませんか。

”もったいないを止めよう”をモットーに、埼玉の
深谷で規格外野菜の販売をしいる内田さんから
頂いた、ごぼうと人参できんぴらを作りました。
きんぴら_20110227

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大相撲八百長問題について、野坂昭如が面白いことを言っています。

「場所を休んではいけない」
「八百長めいたことは昔からいわれる。同時に観る側にそれを楽しむゆとりもあった。八百長以上に力士の佇まいに敬意を表していたのだ」と。

勝負を争うスポーツと見れば、赦されることではありません。

しかし、五穀豊穣を願う神事に由来する相撲を芸能と捉え、他方1年6場所、体を壊さず勤めるために力士はどうあるべきか、という視座を据えてみると異なった風景が見えてくるように思います。

私たちは、どこから来てどこへ行くのか。相撲の問題は、私たち自身を省みるよい機会のような気がします。

ヒステリックに叫ぶことを止め、静かに考えませんか。

下仁田ねぎを、オリーブオイルで炒めました。
甘くとろけるねぎで、竹鶴を一杯。極上の休日。
下仁田ねぎ_20110220 2
自由であること。これが、ルフィーの全てです。

「ルフィー様は海賊でいらっしゃるので・・・お悪い方なのですか?」
「ん?・・・わかんねェ それはお前が決めてくれ」

俺は、俺。
何者であるかは、他者が評価すること。

命を狙われれば、リスクを回避するために閉じこもる。これが、世間の常識。リュウグウ王国のしらほし姫は、逆恨みするバンダーデッケンの投擲から逃れるために、硬殻塔に10年閉じこもりの日々を送っています。

閉じこもりは、死。
遣りたいことをやれ。外に出よう。ルフィーは誘います。斧が飛んで来れば俺が全部吹き飛ばしてやる、と。

力を持つ者故の発言ですが、私たちもそれぞれの小さな力に見合った自由を楽しむことは出来るように思います。何者かであろうと齷齪せずに、他者の想いに満たされながら。

冷蔵庫に眠っていたタコをボイルし、胡麻油で
炒めたきゅうりを加え、パスタと和えました。
タコとキュウリのパスタ_20110213 2
友人にお坊さんが、一人います。
一寺の住職なので、普段は方丈様と呼ばれているようです。

彼から、誕生日にメールが届きました。“我は死ぬ”を自覚せよというメッセージで、仏道に疎い私には難しくて何を言っているのか良く分からなかったのですが、「明日は無いかもしれない。今を生きよ」程の意味かと勝手に解釈しています。

新たな一年を迎えるに当り、素晴らしい祝いの品をいただいたと思いました。
実の籠った便りがあるのは、嬉しいものです。

最近、人とはシェアする者のことではないか、と思うようになりました。読むこと、書くこと、聴くこと、話すこと、見ること、食べること、遊ぶこと、働くこと、喜ぶこと、悩むこと・・・仏道に励むこと?

どうでしょうか。

友の便りに乗ってやって来た桜エビを、天ぷらにしま
した。もう一人の友の焼いた器に盛り、友の心尽しを
食します。とても暖かい時間がそこにありました。
桜エビのてんぷら_20110206 2