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NHKの番組「二人の旅路‐日中 激動を生きた京劇夫婦」を見ました。
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=1320110824

中国人の母、日本人の父との間に生まれた残留孤児の女性と元京劇スターのご主人が、天安門事件の後日本に移り住み、20年ぶりに帰郷したことを追った映像です。

侵略者の血を引いたことと、一人子育てをする母のため、自分のために懸命に生き、京劇のスターへの道を歩むが、却ってそのことで人目に付き妬みを買ったが故に、戦後と文革の時代を通して迫害に遭い続けた妻。「築き上げた地位と名誉「国家一級俳優」の座を捨て、妻を守るために20年前、日本へ移住した」夫。

人生の全てである京劇を投げ捨てて共に日本に渡り、暮らしている夫に対して、常に罪の意識を感じられていたようです。「常に退路を断ち、前に進んできた」と語られる時、強く私の胸は締め付けられました。

一方、ご主人の明るさ。そして奥様と一緒に生きていることが何より大事だ、とおっしゃる、その覚悟と暖かさに、強く打たれました。

奥様は、人生は小さな選択で変わっていく、ともおっしゃっていました。

遠く離れた父(そのころウルグアイに住んでいらして、日中国交回復後、文通されていましたが、結局お会いすることは叶わなかった)に手紙を書かなければ、海外に手紙を出すという目立った行為をしなければ、出国する直接の原因となった二度目の迫害は起きなかったかもしれない。そんなことを伝えようとしたのでしょうか。

自分の力の及ばないところで、日常が決まっていく。大きな決断では無く、小さな選択が人生を変えていく。こんなはずじゃ、なかった。その中で、何を求め、何を為していくか。

成功や失敗では無く、意思と覚悟が人生を創っていくのだと思い、静かな感動を覚えました。

新宿で行われた、震災避難者の方々主
催の集い。唄は心を開く。お手伝いで行
ったのに、楽しませていただきました。
皆さま、お疲れさまでした。
まげねど・がんばっぺ東北のつどい_20110826 3
まげねど・がんばっぺ東北のつどい_20110826 4
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吉本隆明の発言を基に、原発について考えてみました。

「知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです」と吉本隆明は言っています。「核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった」科学と技術の成果を所与として、私たちの生活は成り立っています。先ずは、ここがスタート地点だということを、確認する必要があります。

エネルギーを大量消費する生活を放棄する意思のない現代社会において、この数十年、原発が有力な選択肢であったことは間違いないと思います。事故が起きなければ、原発から日々送られて来る電気を、私たち都市生活者は何も考えずに使い続けていたことでしょう。常に豊かでありたいから。

賛成、反対を唱える前に、問題の本質を問うことなく、今日の消費と利便性を最大化することのみを優先し、リスクを視界から消し去ってしまう私たち自身の在り様を見つめ直すことに暫く時間を使いませんか。でないと、結局、同じことの繰り返しになってしまうような気がします。

被災地の子供に送ろうと思い、クッキーを
焼きました。素人の美味しくもない手作り
菓子を貰って、誰が喜ぶのかと家族から
窘められ、我が家のおやつになりました。
クッキー_20110822 6
昨日、ベルリンの壁建設50年を記念した式典が行われたそうです。

ベルリンの壁崩壊前後、仕事で東ドイツを担当していた私は検問所の一つ、チェックポイント・チャーリーを何度か往復しました。敗戦の結果、戦勝国により市中に勝手に引かれた国境で、西側は米軍が支配していたように記憶しています。これを歩いて越えるのですが、何とも言えない緊張を覚えたものです。

ヤフー・ニュースにこんな記事がありました。
“金融資本主義への嫌悪感から、ドイツでは共産主義の非人道性の象徴だった「壁」を正当化する声さえあるのが実情だ。英国ではマルクス主義を再評価する風潮への警戒感が強まっている・・・独世論調査会社がベルリン市民約1千人を対象にアンケートをしたところ、壁建設について3分の1以上が「東独からの難民流入を阻止し、緊張を安定化させるのに必要だった」と肯定的にとらえていた・・・前駐ロシア英国大使のトニー・ブレントン氏は「金融危機のさなかにあっても、資本主義はより多くの人の生活を豊かにしている。この25年の間に中国の5億人、インドの4億人が極貧から脱出できた。若い世代は共産主義の結末を知らない。共産主義は独裁を導き、多くの人が粛清された歴史を若い世代に伝えるべきだ」と警鐘を鳴らしている”

過去を、過去であるが故に美化してはいけません。共産主義を志向した国々に問題があったことは、事実です。しかし、だからといって資本主義以外に選択肢がないとすることは短絡に過ぎるし、マルクスが答えようとした問いそのものを否定することも出来ないと思います。私たちは、二択の黒白を常に争ってはいない筈です。2万人を超える餓死者を出し続けている今、私たちの明日について、視点を変えて考えていくことが大事なように思います。

過去の誤りは誤りとして風化させず、一方で既存の利害を超えて思考し、新たたな社会を築いていく努力を、私たち一人一人が為さなくてはいけないと思います。

ところで、こんなことをやっている人達もいます「ケニアで実証実験、発電するサッカーボール」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110814-00000301-alterna-soci

気仙沼のあばさんに教わったレシピで漬
けたキューリ。カラシと塩と砂糖で味付け
するのですが、中々に美味。お試しあれ
気仙沼キューリ漬け_20110814 7
お知らせです。
底上げJAPAN活動報告会
「東日本大震災」から5ヶ月以上が経ちました。
震災後から被災地に入り支援活動を続けてる底上げJAPANのヒロが関東に戻ってくるので
今までの活動報告と被災地の状況についてお話してもらおうと思います。

■日時:
8月27日(土)19:00-22:00頃
■場所:
cafe Stay Happy
世田谷区代沢2-269-14-2F
http://cafestayhappy.com/
■Food Charge:
1000円
■活動報告:
Hiro(底上げJAPAN)
■Live:
Maa(Muff)&Vangvang
Kosato
■Candle Decoration:
AKARiYA

ゲームクリエーター、宮路武さんが亡くなりました。

宮路さんとは、私が2001年9月から2006年3月までジー・モードに在籍していた時、一緒に仕事をしていました。

時代の潮流をよく読み、iアプリの登場と共にドコモの月額課金モデルをフルに生かした事業を立ち上げた宮路さんが、事業モデルが変わった今、次に何を出してくるのかを楽しみにしていただけに、早すぎる逝去が惜しまれます。

宮路さんの“10Kあれば携帯電話の端末側でゲームを動かせる”という判断と“ゲームは消耗品”という認識から、ジー・モードは「いつでも、どこでも、だれとでも」をキャッチに3ゲームやり放題の月額100円サイトをローンチし、対戦ゲーム“オセロ”を提供し、携帯ゲームの黎明期において市場をリードしました。事業の成功にはテトリスのライセンス取得が不可欠でしたが、グランディアを手掛けた技術と経験に裏打ちされた宮路さんの構想力とそれを実現可能なものにしたジー・モード(遠藤さん http://ameblo.jp/evezoo/entry-10972072169.html 達を含めて)の企画力、技術力がやはり大きかったと、私は思っています。

私たちは、よく“ポジショニング”ということを言っていました。携帯キャリアのメニューの上位(初期、ジー・モードは1位にポジショニングしていたサイトが多かった)に位置し、トラフィックを稼ぎ、キャリアの宣伝に優良コンテンツとして採用して貰い、広告宣伝は一切行わない戦略です。プロモーションコストが限りなくゼロに近いことはジー・モードのビジネスモデルの特徴で、初期の頃はドコモのテレビCMやVodafone Globalのプロモーションビデオにゲームが使われていました。安室奈美恵が対戦テトリスをテレビでプレイした時は特に反響が大きく、レガッタというIBMの強力なサーバーを使用していたのですが、トラフィックが急増しアクセス不能となってしまったことがありました。

携帯キャリアの課金モデルが終焉を迎えた今、宮路さんがどのような回答を出すのか、見てみたかった。

“Vodafone Live!”にゲームを提供するため
宮路さんとデュッセルドルフのヴォーダフォ
ン本社でプレゼンした後、マックでバーガー
を食べたことが妙に鮮明に記憶に残ってい
ます。  もう一度、一緒に食べたかったな
宮路さんが好きだったビールを飲みながら
バーガー_20110808 4

気仙沼に行ってきました。今回で、2度目です。

当初後輩の居る岩手に行くことを考えていましたが思いの外遠く、池袋から夜行高速バスで直行出来る気仙沼を選び、震災支援活動を開始しました。

最初は、6月28日(火)。
仕事を終えて6月27日(月)23時発のバスに乗り、翌朝8時過ぎに気仙沼駅に到着。6時到着予定だったのですが、高速で事故渋滞があり2時間の遅延です。例の被災者高速料金無料により自家用車の東北道利用が急増し、悪影響が出ているようです。

ボランティアとして、民家の泥出しをしました。津波にのまれ多くの家が流された場所に残った、事務所兼用の1軒家です。
2階の窓まで水の跡があり、15センチ位の高さで固まっている泥の中や屋根には魚の死骸がありました。作業は9時半~15時の間、10名で行い、1階の泥が若干残ってしまいましたが、概ね完了。
気仙沼_屋根の魚_20110628 2


2度目は、7月24日(日)、25日(月)。
泥出しした民家を訪れてみると、新しい床板が張られていたので「ああ、直してお使いになるのだな」自分のしたことが少しは役に立ったのだと思うと、何だか嬉しかったです。
とは言え、周囲は未だこんな状況です。
気仙沼_内の脇風景2_20110628

悲しくなる程、復興のきざしは見えてきません。
未だに傾いた家屋が残っていたり、陸に上がった船も片づいていないものがあったり、商店は空き地のままであったり。
カツオの水揚げは始まりましたが、私が朝訪れた時、魚市場は開いていませんでした。
気仙沼_内の脇_20110628
気仙沼_リアスミュージアム_20110725 2
気仙沼_細谷青果店_20110725

避難所にも行ってきましたが、疲れた人々の目は「こいつ何しに来たんだ」と言っているようで、冷たい視線を感じました。被災者は旅人に多くを語りませんが、叫びたいのをこらえつつ、日々を送っているのでしょう。

被災地では、物、ライフライン、住居、が取敢えず整いつつあります。これに伴い人々の関心も薄れつつありますが、雇用を含め、生活を如何に正常化していくのか、という極めて重要なフェーズに移行しつつある今、そして今後、より多くの人が拘っていく必要があると強く思います。

何故なら、震災により問われている地域の再生は、機能する循環型社会とは何かという私たち皆の問題なのですから。