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11月18日(金)からの3日間、東北、気仙沼で見、聞き、考えたことについて書いてみます。

瓦礫の処分が随分と進み、片付いたな、というのが第一印象です。
でこぼこだった道路も整備され、車での移動が楽になりました。
気仙沼_20111118-20内の脇 2


港に寄港する船が、増えました。船上や港に漁師さんたちの姿を見ると、人のいる風景はいいな、と改めて思います。
気仙沼_20111118-20港の朝・漁船


仮設店舗・復興屋台村がプレ・オープンし、街は7月に比べると活気づいています。はまらん焼(魚介の入ったお好み焼き。魚の街だなと思う)を食べ、焼酎を飲み、その後、別の店で餃子をいただきました。はまらん焼屋のおかみさんが「頑張ろうと言われても空しいだけだけれど、こうして店を出し食事を提供できると、やる気が出てくる」と言っていました。人には活動の場が必要だ、と強く思いました。
気仙沼_20111118-20復興市場


気仙沼港から車で20分程の距離にある唐桑半島で行なわれた、からくわ復興感謝祭「起ち上がろう唐桑」に行ってきました。恒例の「リアス牡蠣祭」を名前を変えての開催です。地域の名産品、牡蠣の養殖が復活するまで、この名称で毎年続けていくとのことでした。加藤実行委員長が「恵みを与えてくれる豊穣の海を初めて怨みました・・・牡蠣がなく祭の実現が危ぶまれましたが、近海水揚げのメカジキと定置網で獲れた鮭により今年も祭を行うことができました・・・悲しみ、苦しみを忘れ、楽しい一日にしましょう」と挨拶されたのを聞き、多くの人たちの想いが力となり、地域を動かしている姿にちょっとした感動を覚えました。

大漁旗のある祭りは、中々いいものです。
気仙沼_20111118-20唐桑祭り


祭で「けっから」というフリーペーパーの創刊予告編が、配られていました。そこに「ボランティアにも見返りは必要だ」「関係の継続のためには、なぁなぁの関係じゃダメ。そこはビジネスですよって」とボランティア学生を大勢、自宅に宿泊させてきた盛屋水産のおかみさんの言葉が紹介されていました。無償の行為は美しい。しかし、余裕が無ければ出来ないし、継続させることは難しい。刹那的な自己満足ではなく、未来をシェアしようとする意思とそれを支える仕組みが必要だと、強く思いました。

市役所のある通りで、ユネスコ主催の小・中学生が描いた絵の展覧会が開かれていました。自分たちの生活とは何か、被災は当たり前だった日常を見つめ直す機会となったようです。どの作品も生活に対する愛情に溢れていて、明日への想いが確かな手ごたえとしてここにある、と感じました。
気仙沼_20111118-20展覧会の絵

私たちがすべきことは復興ではなく”新生”なんだろうとぼんやり思いつつ、気仙沼を離れ、東京を目指して車を走らせました。
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18日(金)~20日(日)の3日間、東北、気仙沼に行ってきました。

目的は、キッズROOMおひさまを訪れ、園児、先生方とTシャツ作りを行うことです。Tシャツメーカー、久米繊維の竹内さんとアーティストの団体JMAAにご協力いただき、実現しました。

出発前、フェースブックにこんなコメントを流しました。「自分が楽しみ、その笑顔が皆の笑顔になる。そんな3日間にしたいと思います。楽しみの中に我が消えていって、そこで皆と輪になれたらいいなと」

楽しかった。

遊びの中に皆が溶け込んで、暫し、他の一切を忘れ、時を共有していたと思います。言葉は不要。笑顔と笑顔、心と心が直に触れあっているような、そんな感じがしました。

今年は、本当に多くの方々と一緒に、様々なことを経験しました。キッズROOM おひさまとの出会いは、その中で最も素敵な、そして深く私の心に刻まれた出会いの一つです。

次は、いつ元気を貰いに行こうかな。


楽しかった時間。皆さんも輪の中にどうぞ
Tシャツワークショップ@おひさま_20111119 6
Tシャツワークショップ@おひさま_20111119 7
Tシャツワークショップ@おひさま_20111119 8

「おひさま」ができました
Tシャツワークショップ@おひさま_20111119 9
TPP。参加するのしないの、上滑りな論調が目立つように思います。

何が、問題なのでしょうか。

事の本質は、私たちに明確な現状理解、将来像、戦略がないことにあると思います。
だから、得意の先送りをしようとする。誰も具体的なヴィジョンやプランを語らない。

昨日、東京都檜原村に週末を利用して都区内から通い、小麦、じゃがいも、大豆を作っていらっしゃる川上さんが、活動10年を機に立ち上げた「檜原村で小麦をつくろう」プロジェクトに参加し、鍬で畑を耕すお手伝いをしてきました。

晩秋の一日、畑で全身を使い、汗を流す。都会の塵芥で汚れた体から毒素が抜けていくように感じ、慣れない力仕事でしたが、何とも言えず心地よい疲労を覚えました。

檜原村では、美味しいじゃがいもが取れます。地元の方の話では、水捌けが良く、土壌が適しているのだそうです。川上さんの小麦も土壌が合っているせいか、プロのパン屋さんも評価している程、良いものが取れるようです。大豆も程良く収穫できると聞きました。

鍬で畑を耕していると、隣の畑の方が近くに来て声を掛けて下さいました。ご子息は畑を継ぐ意思がなく「親父のものだから勝手にしてくれと言うので、当てにしない」とおっしゃっていました。

川上さんのプロジェクトは、私たち皆の大切な資産である大地とその恵みを守り、そして収穫を分配し、皆で享受していく、今の時代に即した新しい仕組みを構築する一つの方向性を示していると思います。

「究極の田んぼ」の著者で不耕起農法を実践されている岩澤信夫が“国民皆農”ということを提唱されています。TPPをこうした視点から、先ずは内側の問題として眺めてみては如何でしょうか。

畑は、私たちの未来と一緒に耕しました。ハルちゃんとアモン君です。
ハルちゃんとアモン君_20111113

枯れ草と抜き取った雑草を燃やしながらの作業。焼畑農業か?
焼畑_20111113 3
福島川内村商工会会長、井出茂さんのお話しを新宿歌舞伎町農山村ふれあい市場で聞きました。

装甲車やパトカー、村を走るものは自衛隊と警察の車両のみという異様な状況の下、原子力安全保安院が「絶対安全だ」と主張する中一旦は見送った後、3月16日、県の避難命令に先立ち(県は命令に村が従ったと主張しているようですが)村は自ら郡山への全村避難を決断したのだそうです。その時、外部との連絡手段は衛星電話1台しかなく、インターネットも繋がらなかったといいます。

その後、4月22日に緊急時避難準備区域に指定される数日前、井出さんは村に戻られました。理由は、原発事故で失われた発電量を補うため、停止していた火力発電所の復旧作業が行われることと、誰かが居続けなければ村は死んでしまうという判断を下されたことの二つです。

村の命である農地は極く僅か作付されたものを除き多く荒廃し、コミュニティは崩壊の危機に瀕していますが、少数の人々が村に戻り、ぎりぎりのところで村の灯を消さずに守っています。今年収穫された米の放射能検査終了後、援農ボランティアを募り、農業を再生する計画があると聞きました。

食べるということ、生きるということについて、どのような仕組みを築くべきか。この度の被災は、高齢化が進み次代の担い手を失いつつあり、一方で商品化が進み必要以上に市場競争に晒されている農業を私たちの生活においてどう位置付けていくのか、先延ばしにしてきた問題を解決するよう促しているように思います。

私たちが今すべきことは、農地蘇生に都市生活者が積極的に拘り、美しく豊かな国土を守り、食の保全を通して循環的で安定した生活のネットワークを創生していくことではないかと思います。川内村の帰村計画は、そのよきパイロット・プロジェクトだと思いました。

川内村出店テント@新宿歌舞伎町農山村
ふれあい市場。地元の味噌で作った豚汁と
いわなの塩焼きが、めちゃくちゃ美味かった
川内村出店@歌舞伎町ふれあい市場_20111106 4
義父が、亡くなりました。

「中曽根さん。東大ですよね」
「彼は、静岡高校だよ」
「三重野さん。東大ですよね」
「日銀総裁は、代々、一高出身だよ」

一高出のエリートで上からものを言う人でしたが、中学が九段だったことを気に掛けていて、日比谷の人は頭がいいと言っていたのを記憶しています。

そうやって思考を組み立てるのだと、生前、話をしていてよく思いました。

精進落しの席で故人はリベラルな人だったということが話題に上った時、リベラルであるために“平等”である必要はないのだと、ぼんやり考えていました。優劣(競争と言った方が分かりやすいかもしれません)を前提とする世界では“公平”や“公正”という基本原理に従い、物事は処理され、評価されていきます。頭のいい人たちはそうでない人たちを理解すらできないようなので、知識や能力を持たない人たちは社会の中心にいる人たちの視野から消えていきます。視野から消え去られた人たちにおいて、どうやってその基本原理を実現することが可能なのか、疑問に思います。

“fairness”とはどのような概念なのか考えてみろという宿題を、義父から貰ったような感じがしています。

私が勝手にイギリスの味だと思っている料
理、サーモン・フィッシュケーク。英米に親
しみを持っていた義父に献じようと作りまし
た。召し上がってください。
フィッシュケーク_20111101 2