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魚介の塩辛を使わない、ベジタブル・キムチをオギノエン・ファームで作りました。

植物性の麹を使って作る、海を持たない埼玉の農家らしい、キムチです。材料は殆ど自前で揃いますが、唐辛子だけは韓国産でないと駄目なようです。日本の唐辛子では辛すぎて、うまく漬けあがらないということです。

鰹節を削り、昆布とあわせてだしを作ります。ニンニク、生姜、リンゴを刻み、ミキサーに入れてペーストにし、だしと塩麹を加えたところに唐辛子の粉末を入れてかき混ぜます。このキムチの素、ヤンニョムに、大根、人参、だしを取った昆布を千切りにし、みじんに切った葱を混ぜ込み、これを1~2日、塩漬けにしておいた白菜、一枚一枚に擦り込むように塗っていき、出来上がり。後は、3日から1週間寝かせ、乳酸発酵が進み、食べ頃になるのを待つだけ。
白菜 こっち    唐辛子    出来上がり 斜め これ        
多くの人は作るのが初めてのキムチでしたが、リーダーの説明を聞きながら、子供も大人も手際よく作業を進めていきます。多少のトラブルが発生しても経験と知恵とで解決し、初対面の人も結構いたのですが、見事なチームワークで遅滞なく調理が行われました。

出番がなければ、リンゴをつまみ食いしたり、本を読んで小休止。必要な時には、手を洗い、参加する。楽しい作業と愉快な食卓。人と人とが溶け合っていくような、素敵な一日でした。
ユンさん ヤンニョムを擦り込む チャンさん
フィンガース・クロス これだな 食卓 大人たち 食卓 笑顔
リンゴをつまみ食い 鰹節削り 読書で小休止

大地と人をこよなく愛する荻野さんのアイデア、麹で作るベジタブル・キムチ。
食べるのが、楽しみです。
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先日、男二人、指編みをしながら、こんな議論をしました。

「人類は地球を代表して、エイリアンと話をする権利があるだろうか」
「ないだろう。アリさんのことを考えながら、話はできそうにないから」
「そうだね。知的生命体とか言って、自分たちだけが特殊な生物だと威張っているけど、他の生物や植物その他の環境とコミュニケーションできないものに、全てを代表する権利はありそうにない」
「エイリアンがコミュニケーションを一切取らなかったら、どうだろう」
「“知的生命体は知的生命体とコミュニケーションを取るものだ”を前提に考えることは、ひょっとすると大きな間違い、的外れな思い込みかもしれないね」

大人の真面目な議論とはとても思えない意味不明な会話ですが、コミュニケーションをコミュニケーションとディス・コミュニケーションの対比で考えていた私にとって、コミュニケーションの不在という考え方は、とても新鮮でした。

コミュニケーション以前。共同幻想の成り立たない、無の世界。それは、どんなものだろう。家族や絆、倫理や宗教といった事柄を考える上で、とても重要な視点ではないかと思いました。

そもそも、繋がらなくてもいいんじゃないか。
只々、こんがらがっているだけなんじゃないか。

1月20日は、えびす講。人と神とが、繋がる日でしょうか
農家では、赤飯を炊き、お頭付の魚を供え、五穀豊穣を祈ります
えびす様 90×90 えびす講 写真 布袋様?90×90

所沢・市民放射線測定室「トコラボ」(http://children-foundation-t.jimdo.com/)の開所式に、行って来ました。

小さな子供を持つお母さんたち、農家さん、パン屋さんと元学校の先生が、事実と向き合い、私たちの未来である子供を守り育てていくために立ち上げた、放射線測定所です。

私たちの美しい国土は、残念ながら広範囲に亘って放射能に汚染されてしまいました。しかも汚染は止むことなく、続いています。原発に賛成か反対かとは無関係に、私たちは等しく汚染の危険に日々晒されています。

“今日も昨日と変わらずに、生きている。何を心配することがある。現状、問題はない。徒に不安を煽るな”という人も大勢いると思います。しかし安全という概念は、時間の経過の後に検証され漸く確立されるもので、事前に知り得ない性質のものです。放射線被爆に関して言えば、私たち一人一人が今、正に実験体となっている訳です。

どうせ分からないなら放っておけという議論もあるでしょうが、私は、事実を確認することが、今極めて重要だと考えています。そして、知り得た事実を基に、子供たちの被爆量を最小化するために予防的措置を講じていくべきではないでしょうか。大人としての義務を果たすために。

知ることは必ずしも人を幸福にしませんが、目を覆い、耳を塞がず今を見つめ、明日について考え、出来ることを一つずつ行っていきたいと思います。

先ずは維持会員となり、今年の会費1口、3,000円を収めました。

無化学肥料、無農薬、放射線不検出
オギノエン・ファームの里芋と大豆で作った、煮っころがしと煮豆
里芋 大豆
里芋の煮っ転がし 2 煮豆 
自ら足を運び、確かめることが出来る産地との距離感。トレーサビリティの原点だと思います
今年の仕事始めは、麦踏みでした。

生まれて初めての麦踏み。折角出てきた麦を踏むのがなんだか可哀そうな気がして、遠慮気味に土を踏んでいたら「それじゃダメ。ちゃんと麦を踏まなきゃ」と言われ、それからは、麦の上をどしどしと踏んで歩きました。
来ては(戻る) (来ては)戻る
寒風の中、最初は寒さに震えていましたが、暫くすると軽く汗ばむほどに体中を血液が走り回っていました。農作業は、よき運動です。

指先に力を入れ、土を押すように歩いて行くのですが、慣れないせいで足に負担が掛かり、終わるころには左足の膝が少々痛むようになってしまいました。

だらしのないことです。
とは言え、とても気持ちの良い仕事始めでした。
あけましておめでとうございます。
初日の出 初日の出 対岸2  
元日、三宝寺の池畔から見た初日の出が、とてもきれいでした。

「お父(おど)」「おめえ、なにしに生きてるでば」
「判らねじゃ」

太宰の魚服記の一節です。長い間、囚われていました。しかしここ数年のよき出会いによって、漸く道が見えてきたように感じています。奇妙な言い方ですが、人生を具現化できるのではないかと。

人生は「限られた時間をどう生きるか」というタイムマネジメントですが、それは効率を争うゲームでもなく成果を問う戦いでもないと思います。自己を耕し豊かにし、永久の眠りに就くまでのストーリー作り。自分自身を自分勝手に作り上げていく謂わば遊びであって、何十年という「壮大な時間の無駄」でよいのではないか。大事なことは、生きる意味を求めることから解放されることだと思うようになりました。

處世若大夢(世に処ることは大いなる夢に若たるに)
胡爲勞其生(胡ん為れぞ其の生を労からすや)

一度しか経験できない時間をどのように配分していくか、という戦略を楽しもうと。

昨年は、農業を日常に取込むことが何とかできるようになりました。
今年は、食を核としたネットワーク作りをしていきたいと思います。

食べることは喜びです
おせち これかな
正月は、おせちにお酒
さあ、一杯一杯又一杯