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オギノエン・ファームで、おやきのワークショップが行われました。

具材は6種。きんぴら、切干大根、里芋の肉味噌、青菜炒め、カレー風味煮大豆、あんこ。
どれも美味しく出来ましたが、変わり種のカレー風味煮大豆が印象に残りました。大豆とカレーの相性がよく、砕いた大豆が不思議と肉のような食感になっていて、カレー味の肉まん、を食べているような感じでした。
蒸し上がり2 蒸し上がり

農園ワークショップは料理教室と違って、作物や素材と直接触れ合うことが出来ます。今回は、小麦を石臼で挽く体験でした。固い殻に守られた小麦を石臼に少しずつ入れ、挽き、ふるいに掛け、小麦粉を自分たちの手で作ります。

おばあさんから、石臼挽きの作法を伝授
おばあさんに石臼挽きを教わる  
子供と大人が一緒に力を合わせ、挽いていきます
小麦を臼で挽く 3人で臼を挽く 4
挽いた小麦をふるいに掛け、小麦粉の出来上がり
ふるいに掛ける
今はオギノエン・ファームでも機械で小麦を挽いているのでアトラクションではありますが、ちょっとしたタイムスリップの楽しみとともに、老人から知恵を学び、3世代が共同して一つ作業を行うという実体験は、とても意義深いことのように思いました。

子供は、日々成長します。大人のサポートを得てたらし焼きを作っている男の子は、1年前ワークショップに参加したとき、乳母車に乗っていたそうです。
成長(1年前は乳母車 今は調理に参加)全体 成長(1年前は乳母車 今は調理に参加)
来年は女の子のように、一人で餡を包み、包丁を自在に扱うかもしれません。
あんこ 切る

参加された方が、おっしゃっていました「世代を超えたコミュニケーションを楽しめた」と。
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種芋の植えつけをしました。出島と男爵です。

じゃがいもには、頭とお尻があります。荻野さんのおばあさんから、教わりました。頭でっかち尻つぼみと言いますが、何となくそんな感じです。
頭の方から芽が出てきますので、芽の出る窪みを均等に残すために縦方向に4つに切ります。
種芋 種芋 4つ切り 
切った部分を保護するため、灰を塗します。
灰を塗した種芋  
準備完了。畑に出ます。

畑を一度耕運機で畝り、出来た谷の部分に、30cm間隔で種芋を置いていきます。
種芋を置いていく
置き終わると、芽の出る部分を上にしながら、手で土を被せます。その際、1、2度手で叩いて土を少々固くするのですが、刺激を受けた方向に芽を伸ばそうとするからだそうです。

植えた種芋の間の窪みに、肥料を蒔きます。鶏糞とぼかしを蒔きました。蒔き終わると、足で土を被せていきます。これを“ケボル”と言います。リズミカルに流れるように土を被せながら進んでいくのですが、これが中々難しい。素人には、うまくリズムが取れないのです。
30cm間隔で置いていく 完了 
最後に、足を小刻みに踏み出しながら土を固めて、植えつけ完了です。

お彼岸でお客様があり、概ね一人で作業しました。
収穫が、楽しみです。
昨日、ケーキを買って帰り、家族と食べました。

バレンタインデーに、家内からチョコレートを貰ったお返しです。

以前はやたらと反発し「商業主義に踊らされるな」とか言って、敢えて何もしなかったのですが、当然ながらあまりよい結果はもたらされませんでした。

昨日のホワイトデー。朝、子供が作ったタルトの味見をし、帰っては子供が友達から貰ったマシュマロを一つ頬張り、そして自分が買ってきたケーキを家族で楽しみました。自然、他愛もない、しかし生活のリズムを刻んでいく会話が続々に交わされ、団欒のひと時をゆっくりと味わいました。

「怠ける権利」の看板を下ろさなくてはいけないような気もしますが、暫し頭を軽くして、肩の張りがほぐれていくような安息の一日でした。
whiteday cake
先月のことですが、キッズROOMおひさまに行くまで、朝3時間ほど街を歩きました。

6時に市役所前に到着した後気仙沼駅に行き、BRTに乗って2駅10分程揺られ南気仙沼で下車。南気仙沼小学校跡、南気仙沼駅跡、気仙沼港、南町仮設商店街と歩き、気仙沼駅に戻りました。

南気仙沼小学校跡。被災直後、避難した子供たちの命を守った校舎、その後スクラップの山となった校庭は、今、「昭和五十六年三月吉日」と刻まれた祈念碑を残すのみで更地となっています。今後、仮設住宅に住んでいる方々を受け入れる集合住宅が建てられると聞きました。
南気仙沼小学校 気仙沼小学校跡 斜め 
南気仙沼駅跡。線路は切断され、駅は駅でなくなりました。
東気仙沼駅_201107 東気仙沼駅_201302 
今、線路ではなく道路を走るBRT(Bus Rapid Transit=バス高速輸送システム)が人々の足となっています。
線路 BRT 2 

私は友人の提案に従い、3.11の後、それまで訪れたことの無い気仙沼に行き、泥掻きをしました。そこで“キッズROOMおひさま”と出会い、年に何度か訪ねるようになりました。
昨年からは、忙しい先生方に代わってブログ(http://ameblo.jp/megfinn/)を書いています。

少々大げさな言い方をすれば、気仙沼は生活の一部となり、私の気仙沼は、偶然から必然に変わりました。

全てを一瞬にして喪い、大きな空洞を内に抱えながら時の流れに耐える試練を受けていない者に何も語る資格はありませんが、自らの生活のほんの少しでもいいから同じ時間を生きている仲間のために使い、地域を超えたネットワークを作り、今を生きる皆で新しい社会を創っていくことが「復興」ということの意味ではないかと思っています。

片づけは略終わり、これからどうするかを決める極めて難しい時期に差し掛かった今こそ、私たちは、よく考え、力を合わせ、明日を建設していかなくてはならないのだと思います。