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今週は、晴れの日が続きました。

昨日、東京の最高気温は28度、湿度は41%。日向は夏ですが日蔭は案外涼しく、頃合いの風が吹き、気持ちの良い一日でした。木陰のベンチに座っていると、木々をつたってくる幽かに緑の香りを含んだ涼風が、安らかな一時を何処からか運んできてくれます。
都会のオアシス ワイド160×90
満員電車で体を強張らせ、オフィスに入れば目を尖らせてスクリーンを追う毎日。ずんずんと心が干涸びていきますが、外に出ると東京でも小さなオアシスが結構あって、暫しの安息を得、心が潤います。

火曜日21日は二十四節気の第8番目の小満でしたが、小満とは万物が次第に成長して一定の大きさに達して来るころのこと、だそうです。生きとし生けるものすべてが伸びをして、おおらかにその生を楽しむ時期なのでしょう。

週末畑に立ち、陽を浴び、風を受け、土に触れ、鳥の声を聞き、草の香りを楽しむ時を過ごすことにより、日々の生活でも五感が多少働くようになったのでしょうか。ビルの谷間に、以前とは異なった風景を見ているような気がします。

少しだけ。ほんの少し、余裕を持ちたいものですね。


連休前後は未だ寒気が残り、私が週末通っている畑のある所沢では霜が降りた日があります。霜で傷ついたジャガイモですが、その後の暖かな日々が成長を促し、傷んだ葉を回復してくれています
霜で傷んだじゃがいも その後成長したじゃがいも  
ついこの間まで乳母車に乗っていた子が、乳母車を押していました。子供たちもまた、すくすくと育っています
子供たちもすくすくと
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憲法を読み、理解することが大事だと、思います。

「思考停止」という言葉を最近よく聞くように思いますが、私たちの社会のコンセプトである憲法を読まないでいることは、一種の思考停止ではないでしょうか。

日本国憲法を読み、理想としてあるいはリアリティとして、日常の諸場面と対置しながら率直に論じ合う、知性と勇気を持ち続けたいと思います。

子供に憲法を読めと言われ、恥ずかしながら何十年ぶりで読み、美しいと思いました。

私たちは「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・この憲法を確定する」「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」者なのです。

この崇高な理想を持ち続け、“そんなことできる訳ないでしょ”と投げ出さず、困難な現実と向き合い「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」たいと、私は思います。

お茶の新芽。先週、すっと伸びました。もうすぐ、摘み取りです
新茶_20130512
露地のイチゴは、今が旬
細谷さんのイチゴ
季節ごとに、美しい表情を見せる私たちの大地。ずっと守りたいですね。
5月3日からの連休、のんびり家族と過ごしましたが、少しだけ憲法について考えました。

連休前、子供が日本国憲法を読み、感じたことを話してくれました。そして、私に憲法を読めと勧めましたが、私は記憶を手繰って何かごちゃごちゃ言い返し、「読もう」と素直に応えませんでした。

憲法を読み、場を変えて建設的な議論をすべきであったのに。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」

日本国憲法、前文です。

私たちは、どのような憲法を持っているのかを確認し、どのような国でありたいかを想い、考え、現憲法と私たちの想いが相違するのであれば、議論し、修正すべきでしょう。

そのためには、私たち一人一人が、先ず憲法を読み、よく理解することが必要だと思います。

麦の穂
5日は、麦畑の雑草を抜き、耕運機で土盛りをしました
耕運機前  

イタリア共和国憲法の第一条には「イタリアは労働に基礎を置く民主共和国である」とあります。

「かもめ食堂」を見ました。

いい映画ですね。見終わった後にまた見たいな、と思う作品の一つ。
“ruokala lokki(かもめ食堂)“ フィンランドを舞台にした、日本食堂の話です。

「ここならやっていけると思った」

「やりたいことをやってて、いいわね」
「やりたくないことを 、やらないだけ」

「大事なものが入っていたのに、大変ですね」
「大事なもの? ・・・ 何が入っていたかしら」

何処で、何を、何故に。
人にはそれぞれ、事情があります。

大人か子供かフィンランド人には区別のつかない小さな日本人サチエの始めた、メインディッシュが“おにぎり”の食堂。開いて一月、誰も店の中に入って来ようとしませんでしたが、やっと一人、日本かぶれの若者がお客さんになります。そして何か事情のありそうな大きな日本人が一人、手伝いをするようになります。小さな人と大きな人は、考えること、感じることが違います。違いが出会うと、変化を生みます。サチエは、シナモンロールを焼くことを思いつきます。焼き上がったところに、好奇心から毎日のように覗き見していたおばさんたちがやって来て、匂いに誘われ店に入り、常連になります。次にまた一人、日本人が手伝うようになり ・・・ と少しずつ人の輪の広がっていく物語。

「自分で入れるより他人に入れてもらった方が、コーヒーは美味しい」

ある日お客として来た、店の前所有者から教わったコーヒーを美味しくするおまじない“コピ・ルアック”を唱えながらコーヒーを入れるサチエが、人を手繰り寄せていきます。それは呪文故なのか、サチエの魅力故なのか。淡々とした、ちょっと人を突き放したような会話の行き来に、却って他人へのいたわりや思いやりを感じます。

愛情とは、他者を解き放ち、その旅立ちを自分のこととして喜ぶ器量のことなのかもしれない、と思いました。そして注がれた愛は、旅立った人においては幾多の悲しみを癒す、尽きぬ心の泉となるのでしょう。

「『おにぎりは自分で作るより、他人が作った方が美味い』と言って、年に二度、運動会と遠足の日に、父がおにぎりを作ってくれた。他の子供には卵焼きやウインナがあったが、私はおにぎりだけ。不格好だけど、とても美味しかった」

おにぎりは「日本人のソウル・フード」なのだそうです。

たけのこ 2
季節の味覚。筍ご飯と、がんもの入った若竹煮
筍ご飯 これでいこう 筍の若竹煮