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雨のため「麦ふみの会」を中止としたので、日曜の朝をゆったりと過ごしました。

久しぶりに少し時間を掛けて新聞を読みましたが、6月28日、発生から100年を迎えた「サラエボ事件」を記念する式典が行われるとの記事に考えさせられました。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ市当局がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を招き、オーストリアとの和解をアピールする記念式典を開く一方で、これに異を唱えるセルビア人側は、オーストリア皇太子夫妻を暗殺したセルビア人民族主義者ガブリロ・プリンツィプを賛美する式典を開くという記事です。ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビア連邦から独立した国で、クロアチア人、ボスニア人とセルビア人の3民族より成り、国家元首は、3民族の代表者が8カ月毎に輪番制で勤めています。

セルビア人民族主義者を「解放者」とするか「暗殺者」と観るかによって、相反する立場に分かれます。伊藤博文を襲った安重根、のことを考えれば分かりやすいかもしれません。

サラエボ市の式典会場は、ボスニア内戦(1992~95)の際に焼け落ち、今年5月に再建された国立図書館で、銘板には「セルビア人犯罪者の手で焼け落ちた」と書かれているそうです。これにセルビア側は反発し、式典には応じないとのことでした。

平和を戦争の対義語ではなく、次元の異なった新しい概念を表象する言葉にしなくてはいけないように思いました。戦争の世紀から平和の世紀へ進みたいのならば、私たちは心の闇をさらけ出し、相反する利害や感情を持つ人たちの間で闇を共有し、向き合い、監視していく強い意志を持たなければいけないと思います。

武力行使を前提としたオレがオレがの国と国との関係性から、他国のモノサシでいったん考えた上で共に生きていくための現実解は何かを求める、過去の遺恨を水に流し、未来を志向する意志と普段の努力の共有へと、私たち皆が進化する必要があるのではないでしょうか。

ロシア人の知人から紹介された、1999年コソボ紛争時、NATOの空爆により被害を受けた時のセルビアの写真を見ると、心が締め付けられます。
1999@serbia_time of NATO bombing
彼女は今、何処で、何をしているのだろう。
私たちは、私たちの未来である子供たちのために、義務を果たしているのだろうか。
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ブラジルでサッカーのワールドカップが開催され、世界中の人たちを熱狂させています。

内田選手が「サッカーは点を取って守るスポーツだ」と言っていました。連日興味深いドラマが繰り広げられている今回のワールドカップの特徴は、相手より点を取り勝つという姿勢がはっきりしていて、各チームとも見ていて面白い攻撃的な試合を行っていることにあると思います。

現時点で1試合の平均得点が3.06点と、1958年スウェーデン大会以来56年ぶりに3点を超える可能性のあるブラジル大会では、手を使い相手の動きを封じようとすることに対して厳しくファールを取っていくことが徹底されていて、これにより攻撃が活発化していることがその背景にあるようです。物議を醸した我が西村主審のPK判定も、前回大会ではシミュレーションとして攻撃者にイエローカードが出されていたものが、大会運営者FIFAの意図により、今回は守備陣の反則とされ試合の流れを大きく変えたということなのでしょう。

これは、ビジネス・マネジメントだと思いました。観ていて面白い試合、スペクタクルなドラマを求める観客やテレビ視聴者のニーズに応えるために大会運営者が出した回答が、レフェリングの新ルールなのです。

サッカーは、マネジメント能力を問われるスポーツだと思います。審判の誤審を含めたアゲインストとフォローが繰り返される基本的には中断されることのない時間の流れの中で、自分たちを如何に保ち、相手に勝利するかを競う競技だからです。

今回の大会で注目しているチームが、2つあります。スペインとフランスです。前回大会優勝のスペインは、そのアイデンティであるパスサッカーに馴染んでいない、気鋭の点取り屋に固執するという自己矛盾をチームに持ち込み、安定感を欠いたゴールキーパーを選択するという監督の2重のマネジメント・ミスにより、チームとして機能せず敗退しました。最後の試合で次に向けてどう修正してくるか、敗退が決まってなお目が離せません。前回大会で選手と監督の確執が表面化しチームが崩壊したフランスは、名のある2選手を外すことで、11人が連動し、流動的で美しいサッカーを展開しています。ここまで2戦2勝、これから楽しみなチームとなりました。

マネジメントという観点からサッカーを見てみると、結構いろいろな発見があるように思います。

玄関先で育てているトマトが花を咲かせ、実をつけました
トマトの苗 トマトの花 トマトの実 大写し
毎朝「おはよう」と声掛けをしています。届いているかな?
風呂から上がりほっと一息、ウイスキー飲んでます。

今日(8日日曜)は、よい日でした。

朝5時過ぎに家を出て市川のお寺に行き、1年ぶりに浅輪先生と話をしました(前年のことは「恩師の墓参り」をお読みください)。行きは同級生の歌をしみじみ聴きながらハンドルを握り、先生と話してとてもすっきりとした気分になった後は、Simple Planを大音量で聴きながら所沢に向かいました。

9時過ぎにオギノエン・ファームに着き一碗のお茶をいただいた後、雨に濡れながら、1時近くまで茶畑の草取りをしました。雨脚が強くなったので午後は作業をせずに、荻野さんと取り止めのない話をしました。お互い相手の立場で素直に聞き、また思うところを思うままに語り、心地よく対話ができ、その時間を心行くまで楽しみました。

4時過ぎに農園を離れ、入間のお茶屋さんを訪ねました。私の参加している講習会で、昨日、火入れをして製茶した手揉み茶を、ご主人、若主人と3人で飲みました。流石プロだな、と思いました。いつ摘んだ?冷凍保存?蒸しは直ぐしたの?と矢継ぎ早に質問が有り、イチョウ香がする、何故だろうとおっしゃっていました。素人が大勢でわさわさ作ったので、どこか上手くいかなかったところがあるとは思っていましたが、私には、まったりとしていて渋みが薄く程よい甘みのあるお茶が、プロには、素材や製造工程に遡り吟味され、味という総体から要素を取り出し評価する対象となるのだと、感心せざるを得ませんでした。

最後に、4月から野菜をお届けしている方に穫り立ての野菜をお持ちしたら、珍しくご主人も出てきて奥様に向かい「トマトは。トマトは」とおっしゃるので「未だ、青く小さいです。出来たら直ぐにお届けします」と申し上げました。「楽しみに待っていてくれているんだ」嬉しかったですね。

オギノエンの近くにある、ホタルとマムシのいる田んぼ
ホタルの田んぼ 230×172
雨交じりの空気が青々としていて、立っているだけで爽快でした

麦が色付いてきました。そろそろ収穫です
色付き始めた麦 230×172
黄金色の景色が、とても美しい
入間市博物館ALITで、狭山茶の歴史の勉強をしました。

何も知らない私には講師の一言一言がとても新鮮で、講義の2時間がとても短く感じられました。

講義によると、お茶は遣唐使により平安初期に日本にもたらされたということです。朝廷と天台・真言の密教寺院で、喫茶文化(「煎じ茶」)が醸成され、鎌倉期に宋の喫茶文化(「抹茶」)が持ち込まれ、禅宗寺院で日常生活に欠かせないものとして定着していきます。

狭山茶の歴史は、平安初期に建立された天台宗の無量寿寺を中心に飲まれた河越茶に始まります。河越氏の滅亡により戦国時代に一旦廃れましたが、日本独自の「蒸し製煎茶」の広まりとともに、江戸後期の文化文政期に狭山丘陵の北側に広がる武蔵野台地(入間市、瑞穂町)において復興され、以後狭山茶と呼ばれるようになります。

通説では、鎌倉時代の僧栄西が日本にお茶をもたらしたとされています。その栄西の『喫茶養生記』にこんな件があります。「朝に採みて、即ち蒸し、即ち之を焙る。懈倦怠慢の者は為すべからざる事なり・・・緩からず、急ならず。終夜眠らず・・・採まんと欲する時は、人夫并に食物と炭と薪と巨多に割置きて後に之を採むのみ」と。

私が参加している手揉み製茶の体験は、真空パックで茶葉を冷凍保存し、5月11日、5月24日、6月7日の日中3回に分けて行われています。製茶の道具「焙炉(ほいろ)」は、ガスの火を用いています。
焙炉 台 焙炉 網 焙炉 金属板 焙炉 和紙を乗せたもの
冷凍保存した蒸した茶葉 茶葉の選別 エビを取る 手で揉む 乾燥
栄西がこれを見たら、何と言うでしょうか。

人類の進歩・文明の為せる業として評価するのか。
それとも、文化の頽廃として嘆くのか。