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ユーカリの林で、日曜一日、草刈りをしました。

加藤さんが豪快にトラクターで走り、草をザックリ刈った後を、私がハンマーナイフモアで木々の間に残った草を刈っていきます。曇天で気温も多少下がってはいましたが、湿気が高く、大汗をかきながらの作業でした。

日本にユーカリの木があるとは、思ってもみませんでした。ところが、ここ入間では当たり前のことのようで、以前入間市駅近くにあるお茶屋さん、西澤園さんを訪れたとき「加藤さん、ユーカリの木を育てているんですって」と大発見のように言ったら「そう。結構やってる人いるよ」と、おはようにおはようを返すように軽く受け応えられたので、拍子抜けしたことがありました。

東松山にある埼玉県こども動物自然公園に、コアラが居ます。その餌として、県が近隣農家にユーカリを植え、葉を動物園に届けるよう依頼したのだそうです。

成木の幹は白樺のように白く、埼玉に白樺?という感じで、見ていて何となく落ち着かない感じもしましたが、陽を浴び、風に揺れる葉は、とても綺麗でした。
トラクターで草を刈る加藤さん ユーカリの白い成木
陽を浴びるユーカリの葉 ユーカリ林で草を刈るトラクター

5時半頃作業を終え、場所を移し、やぶ蚊と闘いながらブルーベリーを摘みました。
ブルーベリー
パック一杯収穫したので、月曜はジャム作りです。
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「麦ふみの会」1年目の収穫祭を行いました。

午前中3時間畑仕事をして、1時過ぎからバーベキュー。かぼちゃ、ナス、オクラ、ジャガイモ。季節の野菜を味わい、スペアリブにかぶりつき、生ビールをごくごくと飲む。玄米のおにぎりと塩焼きそばを食べ、最後に差し入れの夕張メロンをいただき、後片付けをして5時に散会しました。

楽しかった。

人は、「食べ、飲み、話し、笑う」ものだと思います。
収穫祭の食卓 バーベキューの料理人たち
仲間と食卓を囲み歓談する時間は、兎に角楽しいものです。それも、ちょっとした作業を一緒に行った後だと、格別です。心の垢が落とされ、素直に時間を共有できるのでしょう。


農作業は二手に分かれて、行いました。男たちは、茶畑の蔓取り。私は耕運機で、小麦収穫後に蒔いた大豆畑の中耕。女性陣がその後に、大豆を間引き、間引いた大豆を鳩に食べられ芽が出なかったところへ移植しました。
大豆の移植 大豆の間引き
健やかに育ちますように。

農の場は、出会いの場でもあります。集まる人たちは、それぞれの技能を置いていきます。
ツリーハウス 製作者
ツリーハウスが、出来ていました。誰でも直ぐに見つけられる、みんなの隠れ家です。
ツリーハウス 上から ツリーハウス
日曜日、大型の台風の影響で断続的に強い雨が降っていたので、屋内で作業をしました。

フォークリフトを操る加藤さん フォークリフトを操る加藤さん 2
朝、資材置き場に行き、菜種油にする菜の花の種の選別の準備をしました。風も強く、雨の吹込みが思ったより深く室内に雨水を運んでいたので、選別は種が濡れない晴れの日に行うこととし、加藤さんのご自宅に戻り、隣接する作業場で、その後、そばとゴマの出荷準備をしました。

農家に伺い、作業を手伝うようになって、農作業のイメージは大きく変わりました。その一つに、畑に出ている時間は全作業の半分にも満たないのではないか、という発見があります。農家ごとに考え方が異なり、従って、何をどのように育て、どのように売るかによって、作業内容は大きく変わってきますが、共通することは、播種や苗の移植の前と収穫後に多くの労力を費やしていることです。

そばは、収穫後、乾燥させ、脱穀し、貯蔵します。直販している加藤さんのところでは、出荷前に、石抜をし、殻を磨きながらわら屑等を取り除き、殻を剥いて、そば粉に挽きます。収穫から出荷までに、畑を離れたところで、膨大な時間が必要とされるのです。
石抜機(そば) そばの実
乾燥が不十分だとカビが生え、食用に適さなくなります。乾燥し過ぎると、味が落ちます。また、水分が多いと粘りが出て、粉に挽けないのだそうです。水分15%が、その目安だと習いました。

直販していれば、購入者から苦情の電話も入り、対応に追われます。

農家のイメージは、田畑に出て力仕事をしている人たち、から機械を操り、データを蓄積、解析しながら、都市に食料を供給している人たち、へと転換されました。

勿論、粉に挽くまで、そばは生きています。土に蒔けば、発芽します。室内でも、畑でも、命の現場であることに変わりはありません。そこに“農”の魅力があるように、思います。

3週間前に草取りをした、ゴマ畑。雑草も伸びてきていましたが、実もなってきていました。
ゴマの実がなってきました 茗荷の花
ご自宅の庭の茗荷。取って持って帰って、と言われ、生まれて初めて茗荷取りをし、可憐な花を見て、ちょっと興奮しました。何事も初体験は、心を刺激するものです。
気仙沼に、はまらいんや踊りを踊りに行ってきました。

今回で9度目となりますが、初めて遊びに行きました。私の気仙沼は、何かを誰かのためにする場所から、自分が何気なく居られる場所へと、変わったような気がします。

3年前、私は東北に行かなければならないと思いました。今後の日本を考える上で、決定的に重要だと思ったのです。しかしながら、私には、殆ど東北との繋がりはありませんでした。妙に切羽詰った、焦燥感を抱いて、炎天下、気仙沼の街を歩いていたように記憶しています。

その時おひさまの里見理事長との出会いがありましたが、求めるものを何一つ提供出来ず、悶々として東京に戻りました。その後3カ月、罹災された方々への奉仕を東京で行っているうちに、Tシャツ作りのワークショップをしている若者たちと知り合って「これだな」と思い、秋におひさまで、Tシャツ作りのワークショップを行いました。ここから、気仙沼おひさまとのお付き合いが始まりました。

翌年3月に、子供たちの描いたTシャツデザインを本に大人向けのTシャツを作り、おひさまに届けに行った際「ブログ書いたら」と理事長に言われ、写メを送って貰いこれにコメントを添える形で、おひさまブログを書くようになりました。最初は“私の”ブログとなっていましたが、暫くして“おひさまの”ブログでなくてはいけないと思うようになり、先生の書いたメールの文章をなるべく変えずに、掲載するようにしました。

実は、気仙沼に行き始めてからずっと「私は何をしているのだろう」と自問していました。自己満足、自己顕示、打算。下心。私がしたいことをしているだけではないかと。

求められることをする。求められなくなったら、自分がいくら続けたくても止める。そんな当たり前のことに気付いたとき、吹っ切れました。止めろと言われるまで、やろう。そう思うようになってから、肩の力が抜けました。恐らく、おひさまブログを書くという気仙沼の子供たちや先生方とシンクロした日常が、私を安定させたのだと思います。


少しだけ、街を歩いてみました。

焼けた鹿折、泥搔きをした内ノ脇では、土盛が行われていました。あの陸に上がった船は跡形もなく片づけられ、電車の駅も無くなっていました
地上げ 土盛
船のあった場所 内ノ脇
あまり変わっていない港付近と放置されたグランドゼロ
港付近 グランドゼロ
気仙沼みなとまつり。祭りは人を集め、膨大なエネルギーを放出し続けます。千葉の柏から元気なおばさんたちが来て、はまらいんや踊りを踊っていました
太鼓をたたく中学生 柏から来た元気なおばさんたち
南郷の小学校の跡地には集合住宅が建設中で、最知北のスーパーの跡地には温泉パチンコ屋が出来ていました
小学校跡に建てられている住宅 スーパー跡地の出来た温泉パチンコ屋
土曜日、気仙沼に行ってきました。

泥搔きに始まり、私の気仙沼は「何かをする」ために行くところ、でしたが、3年経って知り合いも出来、おひさまのブログを書くことで気仙沼が私の日常となった今、ただ遊びに行く場所であってもいいと思うようになりました。

おひさまが参加している、気仙沼みなとまつりのはまらいんや踊りを見に行くことにしておひさまに電話したら、はまらいんや踊りに参加することになってしまいました。見たこともない踊りを踊れるんだろうかと思いつつも、いつもの通りよく考えもせず「はい、では3時までに伺います」と応え、電話を終えました。

ハンドルを握り、ディープパープルLive in Tokyoのハイウエイスターを繰り返し聞きながら、朝5時半に家を出て12時過ぎに気仙沼に到着。南町で坂本さんのコロッケを頬張り、割烹世界で魚定食をいただいて、おひさまに2時過ぎに到着。本日の衣装、ブルーのおひさまTシャツに着替え、おひさまの手拭いを頭に巻き、少しお手伝いをしてから、会場の田中前大通りに向かいました。
旗 213×160 プラカードを持つ男の子 213×160
楽しかった。
踊りはシンプルなものですが、隣の人と手をつないだり、列が乱れるからやってはいけないこととなっていると後で聞いた、みんなで輪になりグルグル回って最後に思いっきりジャンプする、など人とのつながりを体感し、自分が体ごと溶け込んでいくような感じがして、すごく良かったです。
手を上げて 213×160 子供と輪になって踊る 213×160
スガイ先生跳ねる 213×160 輪になって踊る 213×160

おひさまは学校の部での参加ですが、保育園、幼稚園での参加はおひさまだけだと聞きました。17時半~20時という幼児に不向きな夜の時間帯であることや父母の協力が必要なことや土曜日に職員が参加しなくてはならない等、阻害要因は幾つもあるのでしょう。理事長、園長、先生方の熱意とパワー、会長、副会長を始めとした父母のバックアップ、そして周囲の協力を得て、阻害要因を潰していくおひさまの逞しさを見たように思いました。

私は、ここに東北の未来、ひいては日本の未来、があると考えています。これが駄目、あれが駄目。それは分かった。じゃどうすればいい。必要だと判断したことを、現実的で明確な目標にし、参加者、協力者を得て、みんなで実現していく。今直ぐに可能かどうかで切り分けるのではなく、何が必要か、必要を可能にするためにはどうしたらいいか、そのための努力が求められているのだと思います。

支援という一見美しい響きを持つ無責任な部外者の立場から、参加という当事者の立場に私も漸く身を措けるようになったかなと、遊びに行けるようになった自分を評価ながら、真っ暗な道をディープパープルと共にシャウトしながら帰ってきました。