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日曜、秋津コラボカフェの駅前マーケットで、白菜と菜種油、小麦、味噌を売りました。
コラボ駅前マーケット170×240
味噌と小麦が売れ残り、大赤字でしたが、お客様と接し、たくさんの情報を仕入れたので、差し引きはプラスと思っています。
店先 店先 view from the other side
何より面白かったのは、お昼に食べようと店先で焼いたパンを、このパン美味しいから売って欲しいと言われ、自分のお昼ご飯を販売したことと、小さな女の子が店先に置いておいた私の名刺を持って行ったことです。

あの女の子、私の名刺どうするのだろう。

270g、700円の菜種油を安いと言う人がいたり、狭山のみかんを餡にしたたい焼きを売っている人がいたり、味噌の試食用のキャベツ(無農薬で確かに甘みがあって美味しいけれど)を少し分けてと持って行った人がいたり、菜種油を味わってもらうためのパンを友達に食べさせるからと一切れ切るように頼まれたり。
カフェの中
10時からの6時間、結構、楽しみながら勉強した感じです。

パンに味噌をつけて食べると美味しい、という大発見もありました。

当面、コストで利益は望めませんが、継続したいと思っています。
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テロ、って何だろう。
分からなかったので、恩師を訪ねたことがありました。

恩師は「レジスタンスという言葉が有った」と話し始めましたが、テロについては明確な定義をされなかったように記憶しています。既に帰らぬ人となってしまったので、今、確かめる術はありません。

現代社会は西欧で起きた市民革命と産業革命の成果をそのまま引き継いでいるため、私たちは好むと好まざるとに拘わらず、その基本的な枠組みに従わざるを得ません。しかしながら、市民社会を築いた“自分たちが常に正しい”という西欧のカルチャーをシェアする必要は無いと思います。

国家に都合の悪い暴力行為全てを“テロ”とレッテルし、簡単に片づけてしまうことに疑問を感じます。多様性という言葉を口にするのなら、何故に暴力に訴えるのか、その背景・経緯について一考すべきでしょう。原理主義がイスラムの専売特許のように喧伝されていますが、これは元来キリスト教について言われたことで、イスラム教がその対象では無かったと聞いたことがあります。

間歇的に湧き上がる暴力を権力で叩くことを繰り返していては、私たちに未来は無いように思います。戦争という暴力を前提としなければ国家が成り立たないならば、国家そのものについて皆でじっくり考えてみる必要があるのではないでしょうか。

自由とは意外と厄介な概念です。何をしてもいい、ということは、何をされてもいい、ということです。それを承知した上でどのような関係を築いていくか、人間の叡智が問われているのだと思います。

言論に対して言論で立ち向かえるのは、両者が対等であることを必要条件としています。人々が遍く対等で無い以上、建前を振りかざすのではなく、それは未完の目的であることを自覚し、その目的を達成するための努力をすべきだと思います。

拘束されたお二人の無事を祈りつつ、ここ数日考えたことを記しました。
快晴の日曜日、資材置き場で穀類を収納するネットの手入れをしました。

「冬の仕事は、こんなもの。畑には出ないよ」

「えー、外にでないの」と駄々をこねる子供に言い聞かせるように、加藤さんがぽつんと言いました。農業を、畑仕事=種蒔→収穫、と思いがちですが、器具の手入れや育苗などの事前準備、脱穀・乾燥などの事後作業、そして出荷と室内の作業がたくさんあります。
コンプレッサーで収納袋を掃除する加藤さん 収納袋
面白そうな仕事、カッケー仕事も実は地味な作業に支えられていて、見えないところが結構肝だったりしますね。手間を惜しむと、良いものは出来ません。

この“手間“について考えることが、私たちの未来を考える上でとても重要なのではないか、と思いました。

「いつでも、どこでも、簡単、お手軽、便利で安心、安全。絶対失敗しません」

いいことなんでしょう。電子レンジやスマホが無いと、生きていけない気もします。しかし、本当にそうなのでしょうか。というより、本当にそうしたいのでしょうか。

先日、10年もすると、人間の仕事の多くがロボットに取って代わられ、大量の失業が発生する恐れがあり、このことが人類の最大の問題ではないかと、実際にA.I.が現場に導入され、身近で見ている方が言っているのを聞きました。

もしそうだとすると、利便性の追求は滅亡への道、なのかもしれません。道具として使うはずが、道具の虜になり、終いには道具に隷属し、主従が逆転し、存在の意味を失う。

面倒なことを嫌々やることや失敗を経験することにこそ、人間であることの意味があるのではないか。そう思うようになりました。

加藤さんが「今は8次産業まで来ていて、これから先は1次産業に回帰する」と作業の合間に話していました。

その時の農業は、ハイテクを駆使した地下工場かもしれませんが、太陽と土と汗の、手間の掛かる、効率の悪い、しかし自分が仲間と共にここにいるという充実した、自分の目で確認したという意味で安心、安全な食材を作るものであってもいいと思います。
今頃?と言われそうですが、1月11日、本年の農作業の初日です。

終日、大豆の選別と袋詰めをしました。

オギノエンファームで大豆の選別(ブログ参照「晴れた日に農園の一室で一人大豆を選り分ける」「愉快な一日‐麦ふみ・食卓・大豆の選別」)をしたことがありますが、その時は手作業、今回は機械作業と、全く異なった作業でした。言葉には隠れた部分があって、そこが実は大事な訳で、うっかり「やったことある?」「はい。出来ます」などと返事をしようものなら、大変なことになってしまいます。

昨年11月に収穫した大豆を、加藤さんがフォークリフトで運び、袋から選別機に移し、私は選別機から大・中・小と選り分けられた大豆を30kg袋に詰め、パレットに1段7袋ずつ積んでいきました。
緑の大豆‐箕田在来 大豆の選別
大豆の袋詰め コンテナに積み上げた大豆袋‐仕事の成果
緑の大豆“箕田在来”を18袋、540kg、“さとういらず“を31袋、930kg、計約1.5t。作業の成果です。

良く晴れ風の無い気持ちの良い日だったので、朝、加藤さんのお宅から資材置き場まで5分程歩いていきました。歩いていると、車やトラクターとは異なった風景が見えてきます。

途中の茶畑がきれいに刈られているかと思えば、その奥の別の茶畑は放棄されジャングルになっていたり、茶畑にゴミを捨てる奴がいるらしいことを発見しました。
綺麗に刈られた茶畑160×120 ジャングルと化した茶畑 160×120 ゴミ捨て禁止 160×120
資材置き場から隣接する畑を眺めると、たいして広くない土地が幾つにも区切られていることが分かります。茶畑の所有者が何人もいて、それぞれが別々に作業をしていれば効率は上がりません。一部は空き地となっていて土が露出していますが、こうした土地は少しずつ表面が風にさらわれ、削られていくと聞きました。所有は所有としても、廃業し茶業者に作業を委託するならば、業者を一つにし、効率を上げていく必要があるように思いました。