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一昨日、福島に行ってきました。

ずっと気になっていたのですが、中々行けなかった福島。ある方から、社会的意味を持った東北旅行の企画をするよう促され、東京で考えていても独りよがりに現実離れしたことしか浮かびそうもないので、よい機会と思いNPO法人“元気になろう福島”を訪ね、お話を伺ってきました。

当たり前のことですが、一人一人、地域地域によって震災の持つ意味は異なり、福島と一言で括ってしまうことは間違いなのだと、改めて思いました。放射線量が低く風評被害を被ってきている地域について事実を知り、過剰な反応を是正することが切に求められていることや、除染が進み、次のステップへ移ろうとしている放射線量が高かった地域への新たな支援が求められていること等、多様なニーズがあることを確認してきました。

果樹の植樹を行い、毎年植樹した樹の成長を見に現地を訪れ地元農家と交流し、実をつけるようになるまでは今成る果実を購入し、農家の収入の一助となる一方で、故郷の無い東京人のふる里を創生することを目的とした、繰返し同じ場所を訪れる旅行の企画をしてみようと思います。

果樹を育てる当事者であれば、果樹を見に行き、そこに常住している人たちや文化と触れ合います。風化とは、忘れ去られる、ということだと思いますが、人が目的を持って行き来していれば、そうしたことは起こりえないでしょう。お互いがお互いの日常を共有し、未来を共に築いていくことが、東北と東京の双方にとって重要かつ必要なことだと思いました。

元気になろう福島のお二人と別れた後直ぐ帰る予定だったのですが、近くに山が見えたので寄っていこうと思い、駅への道を右に折れて信夫山に向かって歩き始めました。山頂への道が分からず、何故か何人か遣り過ごした後で自転車に乗っている人を無理やり停めて、道を聞きました。不思議な出会いでした。4月から飯館村で除染作業をされるというその方から、除染の話や、被害状況によって補償や手当に差があるため経済格差が生まれ人間関係にも影響を及ぼしていること等、多様なそして現地で無くては聞けない話を伺いました。自転車を降り、手で押しながら3時間、私と歩き、話し相手となってくれたのです。

朝10時に家を出て、夜20時前に戻った日帰りの旅。

とてもよい一日でした。

信夫山展望台にあった線量計。線量計は、街の至る所にあるそうです
放射線量計
山からの眺め。左は福島市中心部。右は反対方向、飯坂温泉方面
信夫山からの風景 福島市中心部 信夫山からの風景 飯坂温泉側
何となく気になった、福島駅徒歩8分にある飲食店の閉店告知
何となく気になった閉店告知
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麦畑に、鶏糞を撒きました。

1パック900kg(一袋15kg×60)を5パック、全部で4500kgの鶏糞を、加藤さん、手伝いたいとやって来た友人と私の3人で、袋を下ろし、封を開け、トラクターに積み、散布する作業を、一日かけて行いました。
2t車に積んだ鶏糞 トラクターと鶏糞
鶏糞蒔き_後姿 鶏糞蒔き_前姿
麦畑での作業ですが、実は、麦の収穫後に蒔く大豆のための施肥なのです。鶏糞に含まれるリンを土に与えることが目的で、大豆の種蒔に合わせると窒素過多となり虫が湧き、かえって害を及ぼすので、時期をずらして撒き窒素分を麦に吸わせ、必要なリンのみ土壌に残すように、今行うのだそうです。
 
作業の合間に「人生とは不思議だね」と仲間と話しました。ちょっと前まで、鶏糞とこんなにも付き合うなんて、考えてもみなかったと。農作業をしなければ、鶏糞を見ることさえ無かったろうに、それが4t以上の途方もない量を次から次と捌いているのです。
 
夕方、積まれていた袋の山が無くなる頃には、ほのかに香る灰色の粒粒たちに、何となく親しみを感じるようになっていました。
鶏糞一袋15kg
3月5日が、最終出勤日でした。

6日、9日は歯医者に行き、疲れた体のメンテナンス。
昨日は川越農林振興センターに行き、今後の人生設計の相談。

この5年ほど、農業で食べていけないか、可能性を探っていました。週末、渋谷で野菜を売り、檜原村で小麦作りを手伝い、埼玉の畑で農家の見習いをして、漸く道らしきものが見えてきたので、営農者になるためにサラリーマンを辞めることにしました。

農業で生計を立てることは極めて難しいので、事業計画が出来上がったらスイッチしようと思っていましたが、計画以前にやらなくてはならないことが多々あることに気付き、下の子供が高校を卒業するこの春、区切りかなと、自分も新たな挑戦をすることにしたのです。

3.11が、私を大きく変えたように思っています。遅ればせながら6月に気仙沼に行き「今頃何しに来たんだ」と叱責され、昨年、はまらいんや踊りに参加して「これでいい。このまま止めろと言われるまで続ければいい」(ブログ“止めろと言われたら止めよう”参照)と思うようになるまで、この4年多くの人と出会い、その出会いが今の私を作ってくれました。

今“必要“をキーワードとして、考え、行動しています。

ある方が「農家の痛み・喜びを深掘りすると、日本の将来が見えてくるかもしれません」と言われましたが、そう思います。私たちに何が必要なのか、ここに解があるように思うので、自分で入っていくしかない、と決断しました。

8日は町内会に出なくてはいけなかったので、7日、入間に行き、枝落とししたユーカリ畑の後処理と、障害となっていた木の伐採を手伝いました。
伐採されたユーカリの木
加藤さんはチェーンソーを使い、私はのこぎりで、伐採した幹を短くしていきました
枝をのこぎりで切る 切った後
葉と枝先は土に戻り、滋養となります
肥料となる枝落としされたユーカリ

4月からは、こうした作業が、週一の片手間から日々の仕事になります。
仲間と一緒に、麦ふみをしました。

先月の話で恐縮ですが、報告させていただきます。
畑が変わって、初めての「麦ふみの会」開催。私を含め、5人で踏みました。
麦ふみ
晴天ではありましたが、北風の強い、寒い一日でした。北風に上体を煽られふらつきながら、一歩また一歩と、麦を踏んでいきます。いじめているようですが(実際いじめているのでしょうが)、踏むことで根の張りが良くなり分けつを促し、実りが豊かになります(収量を増やすというのは人の都合ではあります)。
踏む前の麦 踏んだ麦
踏むと、ペッタンコ、になります。ちょっと気の毒、胸が痛みます。

麦ふみは午後の作業。午前中は農作業をお手伝いしている加藤さん宅の、檜の枝打ちをしました。

「大井さん、枝打ちできる?」
「何でもやります」
と軽く約束したのですが、植木ばさみでチョキチョキ刈れるようなものではなく、結構な太さの幹を、しかも屋根より高い位置で切り落とす、これ林業じゃん、みたいな作業でした。
枝落とし前の榎
枝を切る山口さん 枝を切る松原さん
枝落としした榎
里山や水源地の森林保全活動を行っているお二人に来ていただかなかったら、到底不可能なプログラムでした。

本来、クレーンを用意して支えながら切り、切った後の幹を吊り上げ地上に下ろすべきところを、2方向から2人がロープを引っ張り、一枝切るのに3人がかりで、人の手のみで行いました。無謀と言えば無謀かも知れませんが、重機の無い時代には手作業だったことを思えば、当たり前のこととも言えそうです。

これとこれとこれが無くては。出来ない。ではなくて、今あるもので、出来るのか。やらなくてはならないならば、どうするか。

人が生きる、生き切る、ということは、制約条件を如何に無力化するか、なのかなと役立たずに右往左往しながら思いました。