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30日(土)、色付いてきた小麦畑の草取りをしました。

強い日差しに頭がくらくらしながら、10時から3時半まで実働4時間。小麦の横に生えた青いカラスムギをモアを使って刈りました。
柏原の麦畑 草取り前 柏原の麦畑 草取り後
お世話になっている農家の加藤さんは、よくこう言っています。「化学で駄目なら、物理で考えろ」と。

農業は人の行うことなので、大地や気候、植物や動物と深く拘わりますが、自然を如何に人の都合に引き寄せるかをマネージする、極めて人工的な作業です。自然は様々な動植物を寛容しますが、人は人に有益でないもの以外は“害“の名を以って排除します。

小麦の畑という人的環境においては、小麦以外の植物は排除しなくてはなりません。方法は、二つあります。農薬を使うか、取り去るか。前者が“化学”で後者が“物理”です。

収量を最大化しようとすれば、「多肥料」+「農薬」となり、安全を求めれば収量を追わず、「小肥料」+「無農薬=草取り」となります。

コストという指標、効率という基準に計れば、即効性のある化学肥料を大量投入し、農薬を散布して草を生やさず収量を最大化することが最善で、収量を犠牲にして遅行性の有機肥料を少量投入し、農薬を使わず草を生やし草を刈ることは、愚か者が行う前時代の手法と看做されるのでしょう。

恐らく、ここが分岐点だと思います。

人の行為全てを数値に還元するか、別の尺度で意味を与えるか。


菜種もそろそろ収穫です。来週あたりかな、と畑を見ながら話しました
菜種の花 実り始めた菜種
実が熟し始めた菜種 実が熟した菜種
4月に咲いた花が、5月半ばに実となり、熟し、今、色付いてきています
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5馬力の耕運機と格闘しました。体中が痛いです。

25日(月)終日、27日(水)の午後、ユーカリ畑に出て、スパイラルを装着した汎用型耕運機を地面に潜り込ませ、伸び始めた雑草を根から引っこ抜く作業をひたすら繰り返しました。その結果が、全身筋肉痛です。
スパイラルを装着した耕運機 切り株から葉を茂らすユーカリ
草取後のユーカリ畑 スパイラルを履いた耕運機の後姿
クラッチをONにすると、スッと体が持って行かれる感じになります。それを抑え、スパイラルを地中に潜らせると、土が掘り返され草が絡まり、草は根から引っ張り出されます。これを畑の端から端まで、行ったり来たり何往復もすると、結構体にきます。

27日の午前中は、草刈り機で蕎麦畑の草退治もしました。30度前後の暑さと土埃の中、唯一の武器である麦わら帽子に守られながら、草刈り機を振り回し、トラクターの刈り残しを潰していきました。
蕎麦畑のトラクター トラクターの土埃

明日も別の畑で、草取り。この時期から夏が終わるまで、草との闘いは続きます。
いつになったら、筋肉痛は癒されるのかな?

蕎麦の花が、咲き始めました
蕎麦の花
5月15日(金)、お茶を摘みました。

茶摘みというと指先で新芽を摘み取るイメージですが、今は機械で行うので、お茶の木の先を刈り取る、といった方が正しいかもしれません。
新芽 摘んだ後の茶ノ木
私の出入りしている加藤ファームは所謂お茶農家ではないため、茶工場を持っていません。無農薬のお茶を製造販売している数少ない近所のお茶屋さんに茶葉を届け、製茶して貰っています。お茶を摘んだ後そのお茶屋さんに行き、茶葉を詰めた袋を下ろし、秤にかけ目方を測り、蒸すために袋から出し、新芽の甘い香りを楽しみました。

無農薬の茶葉は、慣行栽培(化学肥料と農薬を用いる栽培方法)の茶葉の製茶が全て終了した後、一度茶工場にある機械を隅々まで清掃してから、製茶されます。お茶屋さんに届けた時は18時を過ぎていましたが、これから夜中の1時ごろまで清掃作業を行い、明日製茶すると聞きました。

今年は4月末から5月初めに暑い日が続いたため、新芽の伸びが早く、しかも例年なら摘み取り時期がずれる種類の異なったお茶が一斉に芽を伸ばし、短期間で大量の摘み取りと製茶をしなければならず、連日深夜まで働き、大変忙しかったそうです。

摘み取りの翌々日、17日(日)、来年に備えて茶刈りを行いました。葉を落とし、かなり狩り込みます。刈り込むことで新しい枝が生え、枝と対となる新しい根が張り、木が逞しく成長し、良い葉を得ることが出来るのだそうです。また、この時期に葉を落とすことで、虫が卵を産んでも生育に必要な食糧(葉)が無いため、繁殖しないのだそうです。駆除せず、虫対策が行える訳です。
茶摘み前の茶ノ木
刈り込む前の茶ノ木 茶刈り修了
無農薬での畑作とは、作物の生理を理解し、生育環境について考え、作物が無理なく循環する均衡点としての収量を決定し、圃場を運営管理することだと学びました。通常、この後もう一度お茶摘みは行われますが、加藤さんはこれ以上の収穫を求めないことが最良と判断されているようです。

摘んだお茶は、1週間程度で袋詰めされるとのこと。新茶を味わうのが、今から楽しみです。
4月の終り、東北旅行の直前に、千葉で筍掘りをしました。

竹林
本当に気持ちのいい、一日でした。大学時代の友人と竹林のオーナーの3人で竹林に入り、1時間程でしたが滝のような大汗を流しながら、幾つも筍を掘り出し、疲れの出てきたところで、のんびりと四方山話をしながら昼食を取り、収穫とともに豊かな時を東京に持ち帰りました。
筍見っけ 筍掘り開始
掘った筍を一撃で切り取る 収穫
今年の3月、娘と二人、旅行に出た時に隣の席に座ったというだけの偶然が、私たちを楽しい筍掘りに導いてくれたのです。

竹林での昼食の時、その話が出て「娘さんと一緒で無かったら、いくら楽しい話をしてもどこの誰だか分からない人を招待しない。娘さんがいたから・・・」と聞き、自分は不審者だったのかと首をうなだれ、帰宅してから娘にその話をしたら「それは役に立ってよかった」と何事でもないように片づけられ、やっぱり不審者かと苦笑いしました。

筍は、たけのこご飯になり、我が家皆、幸せになりました。
筍ご飯
ご近所に配り、お客様に届け、東北に持って行って、多くの方に喜んでいただきました。

可憐なキンランとギンランとの出会いもありました
竹林入口に咲いていたキンラン ギンラン
素敵な思い出です
日曜日、いつもとは違った挨拶から、一日が始まりました。

「イランカラプテー(あなたの心にそっと触れさせてください)」。
「イランカラプテー」と返します。

アイヌ語です。訳すと、初めまして、でしょうか。宜しくお願いします、かもしれません。
それを「あなたの心にそっと触れさせてください」と呼びかけることに、アイヌの人たちの他者を常にリスペクトする心を感じました。

因みに、親しい人たちが交わす挨拶は「エカタイ、エカタイ」(元気?)だそうです。

アイヌ刺繍のワークショップに参加したので、アイヌ語の挨拶からその日はスタートしました。初めての経験。見るもの聞くこと触れるもの、全てが新鮮で驚きでした。午後、渋谷で別の集まりがあり、刺繍に至らず途中で失礼してしまいしたが、アイヌの心に触れ、カムイを感じ、深い深いしかし心が軽やかになる時間を過ごしました。
アイヌ衣装と 214×160 アイヌ刺繍の勉強会
アイヌの着物は、薄暗い場所で色が浮き上がり、動物が驚くように作られています。動物が驚き、立ち去ることで「相手を守り、自分を守る」のだそうです。模様が境界線となり「ここから入ってこないでね」と他者に合図を送り、感じた者は去る、お互いの領域を無意味に侵さない、共に生きる万物がシェアするルールなのだと思います。

アイヌは、戦わないことを誇りとしてきた、と聞きました。カムイとは、他者に敬意を表しながら接することで、災いを遠ざけ争いを起こさない、その当然の帰結として他者が自分を守ってくれるという、穏やかだが芯の強い精神文化を象徴するものことだと理解しました。

この気高い精神を持ち、他者から立派に見える者のことを“アイヌ”と呼ぶのだそうです。

刺繍は出来ませんでした(40年以上針を持ったことが無いので、習う以前の状態ではあります)が、刺繍は習うもの(先生が居て、その通りに真似、縫い上げる)ものではなく、刺繍がなりたいようにすることだと聞きましたので、刺繍に聞きながら時間を掛けて(いつになると出来るのか見当もつきません。永遠に出来ないような気もしますが)自分で作ってみようと思っています。

「カント オロワ ヤク サクノ アランケプ シネプ カ イサム」 
「 天から役割なしに降ろされたものはひとつもない」アイヌのことわざです
気仙沼に行ってきました。

10回目となる今回、特に用事はありませんでした。秋田でイベントがあるため秋田に行くことを決め、盛岡の農場訪問のアポを取り、今は郷里の山形に居る同期入社の友人に都合を聞き、塩釜の宿を取り、最後に気仙沼の日程を入れました。秋田に行くなら気仙沼には立ち寄ろうと最初から決めていたので、誰にも会えなくても兎に角行くつもりでしたが、おひさまで快く迎え入れていただき、ゆび編みワークショップの時にお世話になった藤田新聞店の藤田ご夫妻(「気仙沼で見、聞き、考えたこと-その5“ふれあい交差点”」参照)にお相手いただき、南町仮設商店街の知っているお店に筍をお届けしご主人と言葉を交わし、短い滞在でしたが素敵な時間を過ごすことが出来ました。
小学校の門と南郷住宅の看板 南郷住宅
港の嵩上げ 鹿折地区の盛り土
災害公営住宅第一号が完成し、陸に上がった大型船が撤去された鹿折地区では仮設商店街も撤去され再開発に向けて土が盛られ、フェリー発着所近くの南町の整地が開始される等、新たな生活を築くフェーズに移ったのかなと感じさせる光景が、見受けられました。向こう数年で、仮設住宅や仮設商店街は無くなり、立派な住宅や商業施設に代わられることでしょう。復興が、形となりつつあります。

ところで、人はどうなのだろう。それぞれの暮らしは?
見ているものがどうもそのまま、すっと入ってこない、そんな感じがしました。

2012年のグランドゼロ グランドゼロの向こうに盛り土
南町昨今 <左>3年前のグランドゼロ <右>現在のグランドゼロ

津波による喪失とその後の何度もの移動で、人としての時間の連続は途切れ、他者との繋がりは断たれ、それぞれの居場所は失われ、精神的に孤立してしまった人も少なくないと聞いています。如何に“孤立化“を防ぎ、人としての生活を営めるように出来るか、これが可能となって初めて復興したと言えるのではないかと思いました。

誰かのために何かをしている。
人それぞれが何らかの役割を担い、共に今を生き、明日を創っていく。

その時、する人される人が希望を共有し、人と人は信頼で結ばれるように思います。そんな人のポジティヴな連鎖を作っていくような、気仙沼と東京との人や物の行き来を考えてみたいと思いました。
南町仮設商店街の鯉のぼり
岩手県盛岡市にある、サンファームを訪問しました。

事務所でお話を伺った後、圃場に出て、様々な接ぎ木、これから田植をするもち米の苗、花が咲いたサクランボ、ブルーベリー、ブラックベリー、モモ、リンゴを見せていただきました。
サクランボの花 桃の花
色々なことを教えていただきましたが、特に印象に残った言葉が2つあります。
「テロワール(Terroir)を体験する」と「農家は生活スタイルで、農業は大変なこと」の2つです。

「テロワールを体験する」
テロワールを“地味”と訳され、ワイン用葡萄であるピノ・ノアールがブルゴーニュの中でも土壌によりロマネ・コンティになったりシャンベルタンになったりすることを例に挙げ、土壌により作物に際立った特徴が出る、その土地土地の恵みを味わうことが楽しみであり、その土壌に適した生育を追及することが営農者の醍醐味だ、と教わりました。

「農家は生活スタイルで、農業は大変なこと」
聞いていて、成程、と思いました。様々な含意があるのでしょうが、私は、戦後の農地改革以降、日本の経済・社会にビルトインされてきた農業が大きな転換期を迎え、社会の中で適切に“業”(=生きていくための手法)として再構築され、確立されていく必要を感じ、多大な努力をされているのだと理解しました。

農業において、自然は愛でるものではなく、ある時は恩恵に預かり、ある時はご機嫌を伺い、ある時は敵として闘う、常に心変わりする、気難しい相手です。圃場に出てみると、寒さとの闘い、が課題の一つであることがよく分かりました。
凍害を受けたリンゴの木 川が剥けている
写真は、凍害のため下方樹皮が剥けてしまっているモモの枝を写したものです。

そして、獣害。クマ、シカ、カモシカ、ウサギ。
ウサギに齧られたリンゴの表皮 鹿かカモシカに齧られた後
写真左は、ウサギに樹皮を齧られたリンゴの幹。樹皮が無くなると養分が上に上がらず、木は死んでしまいます。写真右は、シカに齧られたリンゴの枝。綺麗にポッキリ、持って行ってしまいます。

獣害対策として、果樹園には電気柵が張り巡らされています。これにより、獣害は激減したとのことです。
獣害避けの電気柵

農業の新しい形も、見せていただきました。葡萄用のハウスの骨格に沿ってサクランボの木を植え、高さを制限し、枝を真横に伸ばし、収穫とハウスの覆いの取り外しの作業効率を飛躍的に高め、コストを低減する圃場です。列に並べることで、実を摘む作業がガントチャートのように進捗管理し易いし、高さを制限することで小柄な人でも脚立を使わず、精々ビールケースに乗るだけでスイスイと実を摘むことが出来ます。大きなハウスだと専門業者に覆いの取り外しを頼まなくてはなりませんが、この程度だと自分たちで出来、覆いのビニールも2度3度、使い回しが出来ます。
葡萄用のハウスの骨組に沿って伸びる桜の枝 葡萄用のハウスの骨組を使ったサクランボ栽培
不用品の利用から出たアイデアと聞きましたが、これからの“農業”とはどのようなものかの一例でしょう。

3時間の滞在で、私もサンファームの農援団の仲間入りをしました。
https://www.facebook.com/satoshi.yoshida.7549185?fref=photo
農援団の一員として何をすべきかは、これから考えます。

宿から見た岩手山
宿から見た岩手山
サンファームの事務所や圃場から遠く、宿の選択を誤りましたが、宿からの岩手山はとても綺麗でした
秋田県五城目町に行ってきました。

茅葺古民家 横 茅葺古民家を中庭より見る
目的は、築133年の茅葺古民家をシェアハウスとして活用し、維持保存していこうとする、参加型のプロジェクトのお披露目、開村式に出席することでした。開村とは、資金提供者であり宿泊者ともなる全国の参加者が集うことで村を興し、様々に連帯していくことで村民となっていく、という意味だと理解しています。
茅葺古民家 土間 茅葺古民家 風呂場
村内心得 茅葺古民家 畳
人にフォーカスしている点に興味を持ち参加しましたが、萱を葺くという技術を自分たちで習得し、文化として継承していくと聞き、ますます目が離せなくなりました。茅葺屋根を維持していくためには、葺き替え等に莫大な資金が必要です。元々は村の人たちが共同で行っていた作業が商品化され、労力が金銭に置き換えられ、茅葺屋根が過去の遺物となる中で費用が高騰し、維持が難しくなっている現状を根本から見直し、萱を葺くという専門技術を作業として自分たちの手に取り戻し、自分たち自身の文化にしようとする試みに、未来を感じました。

廃れ行く技術の承継は、簡単なものではありません。この困難を引受けようとする若い世代の可能性に、惹かれます。

<ご参考>
http://sharevillage.jp/
https://www.facebook.com/sharevillageproject
友人より「見に行くべきだ。行けば、分かる」とかねてより言われていた、石巻市立大川小学校に行ってきました。

校章 献花
屋根の曲がった校舎 メインの校舎

「なぜすぐに裏山に避難しなかったのか」

理由は、一目で分かります。裏山とだけ聞けば、誰でも簡単に登れそうな小山を想像しますが、大川小学校の裏山は崖に近い急斜面で、木立の中に道はなく、大人でも簡単に登れるような場所ではありませんでした。所によっては緩やかな傾斜地があり、そこを登ればよかったのにとの意見があるようです(この点については、未確認です。再訪し、自分で検証する必要があると思っています)が、「市の『防災ガイド・ハザードマップ』は、同小を避難所として『利用可』としている。柏葉校長は『堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった』と明かす」(2011年4月19日付毎日新聞)とあり、堤防を越える津波が想定外で、「『山へ逃げるか』『この揺れでは木が倒れるので駄目だ』『山は崩れないのか』」(2011年6月13日付読売新聞)との議論より推測されるように、避難場所として活用されるための裏山ではなかったのです。

<左>直ぐ傍の橋と同じ高さの土手から左に小学校、右に裏山を見る
校舎全景と裏山 裏山 校庭から見る
<右>校庭より裏山を見る

「天災ではなく、人災だ」

地震から避難までの40分を議論に空費したことを指すのであれば、それは当事者に酷だと思います。より安全で容易に行ける避難場所が、用意されていなかったからです。「何が起きているのか把握できず、何をすべきか分からない」時、私たちはどうすべきか、結果を知っていれば簡単なことでも、その場で判断を下すことは容易でないと思います。また、既定でないその場の判断に従い動くことで、別のリスクが発生します。「そんなことしなければ」と非難されることに立ち向かう覚悟が、必要となります。

こんなに水量の多い川の堤防の直ぐ下に学校を作るのか?と感じましたが、高い堤防を築くことで自然に対処できるとする「私たちの日常」が、それを是としてきたことに思い当たりました。私たち皆が高を括ってきたという意味で、「人災」だと言えるのではないでしょうか。

<左>石巻市中心部より大川小学校に向かう土手から小学校の直ぐ傍の橋を望む
水量豊富な北上川と大川小学校傍の橋 対岸から見る堤防越しの校舎
<右>大川小学校の向こう岸より堤防の先に小学校を見る

「想定外」を非日常として視野の外に置くか、日常に対する疑問として日々意識し、イザに直面した際、不測に対して柔軟に対処し生き抜く対応力を養うか、どっちにする?と問われているように思いました。
湾曲した柱 壊れた校舎
慰霊碑に向かい手を合わせ「命を懸けて残された全てを私たちが引き継ぎ、よりよい社会を作っていきます」と祈り、誓いました。

校庭には、うつむき加減の賢治が描かれた、卒業制作の壁画が残されていました
賢治の壁画 賢治の壁画と壊れた校舎
賢治の言葉「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」とともに

ご参考:「大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻」
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html