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私たちの畑で育ち実ったササゲで、お赤飯を炊きました。

生まれて初めての赤飯作りなので、方々に聞き、ネットで検索し、しかし結局はいつも通りいい加減に、ササゲを煮て、煮あがったら煮汁と分け、煮汁が冷めたところで、研いだもち米に加え、炊飯器で炊きました。

種を蒔き、芽が出て、花が咲き、実が生る。草を除き成長を助け、その成長を見守り、実を捥ぎ、筵に寝かせて乾かし、赤く美しい宝石とする。その宝石を調理し、家族で分け合う。全てが初めてだからでしょう。実に新鮮で、心ときめいた、赤飯作りでした。
ササゲの発芽 ササゲの発芽 3
いい感じの成長  ササゲの花が咲きました
ササゲ 夏の終わり 色付いたササゲの実
収穫したササゲの天日干し 天日干しで割れたササゲの殻からササゲを覗く
赤い宝石 お赤飯出来ました
家内に「何で赤飯炊くの?」と聞かれ「赤飯を炊くこと自体が、目的だ」と答えましたが、種蒔から始め、自分たちが育てた作物を自ら調理するという、私の中で、一つの新たなストーリーが出来上がった記念すべき日ではあるので、祝うに値する、かもしれません。

自己満足に過ぎない、と言われればそうかなと思います。たかが赤飯炊いただけですが、しかし、心満たされた、とても豊かな一日となりました。
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9月20日(日)ゴマの芯止めをしました。

そろそろ、収穫。10日後に収穫と想定し、その時に十分熟さない未だ小さい実や花のついている茎の先端部分10cm程度を、鋏で切り取っていきます。モッタイナイと言えばモッタイナイのですが、収穫しても商品とならず、除くための手間ばかり掛かるため、事前に整理を行うのです。

この日曜日、天気は晴。畑に立っていると、風が抜けとても気持ちが良いのですが、作業に入ると汗をかきました。
芯止めをするゴマ 芯止めする川口
芯止めした後のゴマ
芯止めする加藤さんとハルオさん ゴマ畑
作業は、私の仲間と加藤さんのご近所の方も加わり4人で行いました。「これは刈っといた方がいいかな?それとも残すか」「残しても実が入らないだろう」「じゃ、刈るか」といった具合に、農家同士、手を動かしながら作業の段取りを確認し、即決で進めていきます。

考え方が異なっていても信頼で結ばれたプロとプロが、軽く疑問を口にしながらも互いを批判せず、状況や方法を確認しながら作業を進めていく姿を横で見ていて「いいな」と思います。

善き人に囲まれ、秋の澄んだ空気を吸い、程よく汗をかき、心地よい一日でした。
12日土曜日、ササゲの収穫作業を開始しました。

やっと長雨が上がり、ササゲの収穫が出来るようになりました。大分痛んだものもあり、ちょっと時期が遅れたと思いますが(5月に種を蒔き、梅雨明けの夏日に収穫すべきものを7月に蒔いたので、そもそも時期遅れではありましたが)何とか、収穫作業が出来るようになりました。
色付いたササゲの実 仲間とササゲの収穫
昨日13日の日曜には、仲間が来て手伝ってくれました。一人、また一人と、畑に人が増えていくのを見ることが、これからの楽しみであり、また私自身に課した仕事でもあります。
収穫したササゲの天日干し 天日干しで割れたササゲの殻からササゲを覗く
捥いだササゲは、筵に広げ天日に干します。向こう2週間程は、捥いでは干し、また捥いでは干す、単調な繰り返しだけれどちょっとだけ嬉しい、そんな毎日が続きそうです。

畑で小さな仲間、おんぶバッタに出会いました
畑で出会った小さな仲間「おんぶバッタ」
時代でしょうか、彼ら夫婦も同じ方向を向くことは難しいようです
久しぶりに、畑に出ました。

雨の日が続いたこともありますが、腰を痛めてしまい、月曜日から木曜日まで4日間、家で寝ていました。そろそろ行かないと、ということで本日、畑に出ました。

午前はユーカリ取り、午後は台風で倒れたゴマを起こす作業をしました。倒れたゴマを起こし抱きかかえ、足で1歩また1歩、ゆっくりと根元を固めていきます。一緒に作業した仲間が「四股を踏んでいるようだ」と言っていましたが、結構足腰の力を必要とする仕事で、コルセットをしている腰に負担を掛けてしまいした。明日、具合がどうか、ちょっと心配です。
倒れたゴマ ゴマを起こす飯島さん
これから起こすゴマたち 起こしたゴマたち
ところで明日は、長雨で手を出せなかったササゲを捥ごうと思います。

ゴマの青い実に、こんなお客さんが来ていました。
ゴマの客人
美人なのかな?
この一月、ずっと平和について考えていました。

難しくて結論は出ませんでしたが、纏まっていなくても的外れでも、現時点で考えたことを記しておいた方がよいと思い、書いてみました。

先のブログ「戦争とは何か」で、平和とは「万人の自由を保障し、幸福を追求できる環境」と述べましたが、今は状態や状況と考えるより、人が直接働きかけていく能動的なものと考えた方が良いように思っています。平和は人々の目指すところであると同時に、求め実現しようとするプロセス自体に本質があるように思うからです。

この神かあの神か、とか、偶像を認めるか認めないか、とか、豚肉を食べるか食べないか、とか、肌の色が白か黒か黄色か等、シェアできないこと、感覚的に受け入れられなかったり、脅威に感じたり、理解不能だったり、理解できても好きになれなかったり、考え方としては否定できないけれど別の意見が正しい、あるいは相応しいと思っているため賛同できなかったりすることが、たくさんあります。

こうしたシェアできないことを、排除せずオープンにしておく技術。オープンにしておく意志と努力。自己の正義に反する事、物、者を、全く別のしかし前提を変えれば論理的に帰結する可能な価値として保留にする精神のマネジメント。平和とは、交わらない価値から生じる脅威と嫌悪をこうした技術を共有することにより最小化し、皆で創っていくものではないかと考えてみました。

変な言い方に聞こえるかもしれませんが、絆を敢て持とうとしない、一緒に居ながら、拘わらないことで互いを尊重し合うあるいは距離を置くことで互いの価値を保全し、共存していくこと。自分たちの基準に照らすと間違っていること、自分たちの正義に反することについて、“何故そうなるのか”を考え、他者を自分たちに同化させず、他者に自分たちが同化されず、他者を永遠に異なった他者として受け入れていくような世界を平和な世界と呼べないか、そんな風に考えてみました。


畑は、遊牧民が忌み嫌う「母なる大地を傷つける」場所です。人の勝手な都合で行われる食糧生産の場ですが、雨が降り日が差す大地は人の好き勝手にはさせてくれません。
タカキビ 夏の終わり ササゲ 夏の終わり
他者と折り合いを付け乍ら、自分たちの価値を求め実現するために主体的に生きていくヒントが、ここにあるように思います。