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師走最後の日曜日、オギノエンファームで餅つきをしました。

昔は師走のこの時期、そこここで杵が餅を搗く音を聞いたように記憶しています。私も自宅で餅つきをしていましたが、いつの頃からか搗かなくなりました。廃れ行く日本の師走の風物詩なのかもしれません。

時代に超然として日常を楽しんでいる荻野さん宅では、昨年行われた餅つきは今年も変わらず行われ、来年もまた行われるでしょう。そして気の置けない人たちが、大勢やって来ます。今年は40人ほどの人で、賑わいました。

10臼、搗きました。作業は、多くの人を一つにするようです。誰が命じるのでもなく自然と皆がそれぞれに役割を見つけ、互いに確認しながら、米が搗かれ、伸し餅や丸餅となっていきます。
エゴマ味噌を作るためにエゴマを 先ず、杵で捏ねる
餅を搗く 丸餅を作る
餅を伸す 餅つき 竹内さん山口さん
子供も大人も、笑顔で杵を握り、搗いた餅を伸ばし、丸餅に丸めていました。

餅つきを終えた後は、餅を肴に、ビール、日本酒、そして酒じゃない力水だと勧められた泡盛をいただき、程よく酔い、善き人たちと日の暮れるまで話に興じ、のんびりと歩いて帰りました。
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ケーキ屋さんでケーキを買わず、本を貰ってきました。

近所に、とっても美味しいケーキ屋さんがあります。千疋屋より美味しいと我が家で絶賛されている、マンゴー・プディングがお薦めの店です。久しぶりに訪ねてみたら、月末の数日のみ予約販売されているとのことでケーキを買うことが出来ず、少しばかり話をして帰ってきました。話題は、ケーキ屋さんも関心をお持ちの農業で、帰りがけに本をいただきました。
農業の常識は自然界の非常識
ケーキ屋さんの仕入先である、卵農家の亡くなられたご主人が書かれた本です。これから読むため何が書かれてあるのか分かりませんが、目次を見ると“微生物にゆだねる”という1章があり、土づくりの参考になりそうなので読むのを楽しみにしています。

「農業の常識は自然界の非常識」とは、中々刺激的なタイトルですよね。確かに農業は人の営みなので、自然に関わりを持ちますが自然に反することも行う、食料の生産・管理です。人が生きるに必要なだけ自然に食物が実るので無ければ、必要量の農産物を得るための“何か”をしなくてはなりません。その何かは、当然ながら、自然とは異質の“何か“であるはずです。

来年より、自ら畑を持ち、より主体的に農業していく予定ですが、農業は関わり合い方次第で全くの別物になってしまうので、どう取り組んでいくか、を明確にすることが極めて重要だと思っています。

ケーキ屋さんで農業の本をいただいたように、歩くと人に出会い、動くと何かが起こります。

農業は技術があれば出来るのかもしれませんし、いただいた本の著者の高橋さんのように思想を持って向かうことが大事なのかもしれませんが、誰と何を何のためにするのか、人との出会いや交流が、より重要なのではないかと思いました。

寄り道をして帰ったら、ブロッコリーと出会いました
ブロッコリーの花
収穫後みんな寒そうにしている中で、何故か1株、黄色く色づいていました
穏やかに晴れた12月9日(水)、小麦の種蒔をしました。

大豆の収穫が遅れ、中々手が付けられなかった小麦の種蒔が、漸く始まりました。最初の畑は、入間市宮寺のウドやニンジンを育てている農家の畑です。その農家は冬に何も作付しないので、加藤さんが借り受けて麦作に使用しています。
小麦の種蒔を終えた宮寺の石川さんの畑 細谷さんの畑の隣
トラックに載せて運んだトラクターを降ろし、後部に付けた種蒔機器に種を入れ、蒔き始め5m程で一度止めて、蒔かれた深さを確認します。霜の害を避けながら(深く植える)出来るだけ早くに発芽させる(浅く植える)という二律背反を成し遂げるために、気温を気にしながら3~5cmの深さに(寒ければ深く、暖かければ浅く)、機器の設定を調整しつつ、蒔いていきます。
トラクターをトラックから降ろす 種蒔の状態を確認する加藤さん
播き具合を確認し、トラクターを調整する加藤さん 小麦の種蒔_トラクター
以前「畑を空けておくと北風によって土埃が立つが、麦を植えれば埃除けになる」と聞いたことがありました。作物を植えるのは食べるためだと思っていましたが、そればかりではないのだなとその時知り、農家の発想は都市生活者の理解を超えていると軽いショックを受けたように記憶しています。

勿論、ここで育てた小麦はうどん用に販売されますし、私たちのビールもこの小麦“里の空”から作られます。そして、小麦を作ることで、その後植えるニンジンの出来が良くなるとも聞きました。生育時期が異なる作物が同じ畑をシェアすることで、相乗効果のようなものが生まれることもあるようです。

ともあれ、次のサイクルが始まりました。6月の収穫、その後のビール作りに向けて、畑が動き出したのです。
時間を楽しみたいと、思い始めました。

農業は、待つ仕事です。耕し、種を蒔き、作物と一緒に時間を過ごし、実りを待ちます。そんな日常を少しばかり続けたからでしょうか、待つことを楽しみたいと思うようになりました。

自分自身の時間を考えてみると、一生という限られた短い時間の中では出来ないことが多く、出来ることは少ないものです。以前は、あれも出来ないこれも出来ないと暗かったのですが、最近は、自分が正しく真っ直ぐに未来を見据えていれば、次世代やその先に続く人たちが私の見ているものを実現するだろう、その実現できる姿を想いつつ笑って死んでいけばいいのではないかと、ちょっと明るく考えるようになりました。

ウヰスキーの樽一杯に詰めたモルト原酒は、長い時間を経て分量が減り、樽に空洞が出来ると聞きました。これを天使の取り分と言うそうですが、天使と一緒に気長に待つ、その時間を楽しめたら、素敵だなと思います。たとえ、飲めるようになった時にこの世に居なくても。普段付き合いの無い、天使とたくさん話が出来るじゃないですか。

先日、中目黒のStudio MOONで打ち合わせを行った際、有限と無限、の話を伺いました。有限とは数えられるもので、例としては“金“があり、人をあくせくさせて、徒に疲れさせます。無限とは数えられないもので、例としては“愛”があり、人を慈しみ安らぎを与えてくれます。

時間は、時計の針で数えられるように思われますが、待つことは時間を数えることではなく何かがやって来るまでひたすら静かにしていることですから、無限の仲間に入れて貰っても罰は当たらないような気がします。

時間を数えず、待つことを楽しめたら、人生の風景が大きく変わってくるように思います。

昨日、銀杏の実を剥き、洗い、干しました。作業をしながら、果樹を植樹し、年月を掛けて育成して、実がなるのを待つ「時間を楽しもうプロジェクト」を立ち上げることを思いつきました。来年、実施したいと思っています。

剥いた銀杏は、食べられるまで何日か日に干します。
木の銀杏  実を剥いて、洗って、天日干の銀杏
なるまで待ち、落ちるまで待ち、食べられるまで、待ちます。