FC2ブログ
少年とは、私のことです。

私が昔勤めていた会社の先輩が、今の私を評して「あいつは、少年だから」と言っていると聞きました。以前「お前は、夢追い人だからな」と直接言われたこともあります。

当の本人は夢を追っている積りは毛頭なく、具体的な目標に向かって現実を生きようとしているのですが、どうもそうは見えないようです。大学の同級生からも私の畑仕事について「夢に向かっての決断」云々とメールをもらいました。

“現実“とか”現実的“とか”現実性“ということは、見る人、見る時、見る方向・角度・距離によって、随分と異なってくるようです。

この2週間、多くの人と会って話を聞き、メールを交換し、自分のしたこと、していること、しようとしていることについて、見直しをしました。

「仲間を集め、一緒に作物を育て、収穫し、加工・調理して食べ、飲み、楽しむこと」
「都市生活者が、消費者であると同時に耕作者となり、耕作放棄地となる土地を耕し、農地として維持、管理していくこと」
「都市生活者の日常に農作業時間を取り込み、これを労働(コスト)ではなくエンターテイメントとして位置付け、労賃を限りなくゼロにし、労働集約的でありながら生産費用を低下させること」

これらについて語ると
「楽しそうな文化活動ですね」
「農業は大変だよ。どうやって食べていくの」
と返ってきます。

私は、文化活動でありかつ経済活動としての「都市生活者参加型の農業」を近未来の現実と考えています。しかし、多くの人には、今存在しないし明日も存在しない夢物語と映り、「ま、頑張って」と肩を叩かれることが私の現実であるようです。

野菜売りから始めて、週末農業を経て、毎日畑に出るようになり、そして6次産業を指向して自らが栽培に携わった小麦で白ビールを作るところまで来ました。

ちょっと遠くなりますが、群馬か千葉で畑が借りられそうなので、来月には、遅れていた「麦ふみの会」会員募集を開始する予定です。

現実とは、今ただあるものでは無く、今創っている、これから創っていく、選択的な未来の一つの姿だと理解しています。別言すれば、夢とは“やりたいこと”なのに対して、現実とは“必要”すなわち“すべきこと、求められていること”だということです。
ドジョウ、ザリガニが居る畑 田んぼの後の麦畑 修正
写真は、私の心に映る現実、先日訪れた上州の畑です。

見直しをして、幾つかの間違いに気付きました。計画を修正して、半歩先に進みたいと思います。
スポンサーサイト



昨年2月、私たちが麦ふみをした小麦(ブログ「麦ふみ、枝打ち、生き切る力」参照)で作った白ビールを試飲会と称して、麦を一緒に踏んでくれた仲間、古くからの友人、先輩後輩、何かの集いで知り合った人、名刺を交換しただけの人、昨日あったばかりの人に声を掛け、みんなで飲みました。

楽しかった。

渋滞で遅着した上に高速の出方を間違え再び高速に乗ってしまい、18時に準備を終え会を開始しなければいけないところを、18時30分に会場に到着し、運んで行ったビールサーバーの設定に手間取り、お集まりの方々にお手伝いいただいて漸く生ビールを注げるようになったのが、19時30分でした。

この体たらく、大失態にも拘わらず、とにかく楽しかった。

昨年末、ビールを作って「さぁー始めるぞ」と張り切っていたら「来年の小麦は渡せない」と、昨年小麦作りを手伝った入間の農家に言われて愕然としました。2月に麦踏んで6月に収穫、8月にはビールが飲めると、何度か農家に確認した積りで準備していたシナリオが、ガラガラと崩れ落ちてしまったのです。「どうしよう。どうしたらいい?」年末から年始に掛けて、かなり落ち込んでいました。

そんな精神状態で試飲会に臨んだので結構緊張していたのですが、集まった皆さんがビール片手に談笑しているのを見て、スッと肩の力が抜け、気分が軽くなりました。そして自分のグラスにビールを注ぎ口に含んだ後は、勝手なもので私も一人の参加者となり、誰よりも愉しんでいました。
213×160切り抜き ビアカップを受け取る大井@ビール試飲会20160115 213×160切り抜き 生ビールを注ぐ大井@ビール試飲会20150115
小さな失敗が続き、時には大きな失敗もあるだろう。しかし、いつかは辿り着く。目的に向かって進んでいるのだから。などと身勝手な言い訳をしている愚かな私を笑って許してくれる人たち(家に帰って子供に顛末を話したら、皆さん怒っているよ。気付かないのはお父さんだけだ。相変わらず使えないね、と言われましたが)を見て、「これでスタート出来る」とにかく顔を上げて歩いていこうと思いました。
213×160 ビールとつまみ@ビール試飲会20160115 213×160 ビール+ビール+ビール@ビール試飲会20160115
15日(金)は15人、ほぼ同時刻に集まったのでちょっとしたパーティーのようでした。16日(土)は7人、一人一人、じっくりと話が出来ました。2日合計、22人。子供を含めて水増しすると24人。身の丈に合った集い、だったと思います。

皆様、ありがとうございました。
あけましておめでとうございます。
初日の出2016元旦
處世若大夢(生きているというのは、夢を見ているようなもの)
胡爲勞其生(権力、名誉、富を追って、労れることはなかろう)
所以終日醉(余計なことに与せず、只管飲めばよいではないか)

「コーランには 本当は 何が書かれていたか?」アメリカ人ジャーナリスト、カーラ・パワー著を読み終えて、何故か李白のことを思い起こしました。

この本は難解でよく理解できなかったのですが、イスラム教が、唯一神への服従とその裏返しとして万民が平等であること(男女の優劣は無い)を説く、フラットな世界観を有していること。日に5回の祈祷を通じて自己の限界を常に意識し、傲慢を戒め、欲望を自制し、心の平安を保つ生活を目指すものだということ、は分かりました。

宗教とは無思考に信ずるものだとばかり決めつけていましたが、どうやらそれは間違いだと、この本を読んで思いました。自己と向き合い、理性に裏打ちされた静かな力を得る、方法論の一つなのかなと思うようになりました。信仰は帰属(アイデンティティ)の問題ではなく、寄る辺ないちっぽけな一人の人間を大宇宙にしっかりと結びつける、叡智なのでしょう。

祈ることによって、他者を支配せず他者に支配されず、常に自己を謙虚にしっかりと保つことが可能となる。これは、分かるような気がします。

ただ私は、かっちりとした枠組みの中で平穏を得るより、単なる快楽主義のように見えて実は全てを己一人で引き受ける覚悟のある、自らに忠実に生きよ、その先は無間奈落かもしれない、それでも行け怯むな、をさらりと吟じる李白と共に在りたいと思っています。

恨まず憎まず排除せず、自らの道を静かに愉快に歩んでいきたい。

難しいチャレンジなのですが、元旦に、そう思いました。

家族と、私たちの文化、おせちを楽しみました
おせち
今年の田作りは、特に美味しかった