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8月28日(日)午後と29日(月)、草刈りをしました。

草刈り前 2 草刈り後
1週間のうちに雨の日があると、畑の風景が一変する程、草が生えることがあります。畑仕事をしていると「こんなに生えちゃうの。勘弁してよ」となる訳で、「この雑草ども!」とただただ憎々しげに思っていました。

最近、ヨーロッパとの比較において風土のことを尋ねられ、風土について考えるようになりました。簡単に言うと、ヨーロッパの自然は脆弱で日本の自然は強烈だから、ヨーロッパ人は自然を管理するものと捉え、日本人は真っ向から向かわずいなしながら恵みを享受する、というものです。

その真偽を問うことは擱くとしても、高温多湿の日本の夏には草がとんでもなくよく生えることは事実で、私が住んだことのあるロンドンでは、こんな力強い植物の力を見たことはありませんでした。

日本って、凄いな、と思うようになりました。

生態学者の高槻成紀は「『あとは野となれ山となれ』はすべきことをしないで放置し、なりゆきまかせにするいいかげんな態度のことや、そうなる状況のことをいう。『野』とは田畑が手入れされなくなって雑草や野草が伸びることをいい、『山』とは林のことである。これはつまり植生遷移の進行を表現したもので、つねに刈り取りをして農地を『野』や『山』にならないようにし続けた勤勉な日本の農民の言葉であるに違いない。おもしろいのは、それをいい加減な態度として批判的な意味に使うところにある。世界の多くの国でどれほど緑化のための努力がなされていることか」と書いています。

野にも山にもしない、というご先祖様の勤勉努力に敬意を表しまた感謝しつつも、野にも山にもなる、力強い生命の風土と最善の関係を構築する新たな未来を考えてみたいと思いました。

それは恐らく、排除せず、管理せず、リスクを受け流す、洪水はあるが災害としない、そんな大地と海洋とお天気との共生のような気がします。排除すれば、土地は痩せ、生物は死滅し、環境は貧困になります。堤防が決壊するように、立ち向かえば、想定外の力に敗れます。立ち向かうのではなく、上手に受け流す。日本人の本質とも言えるような“大きなリスクをも前提に置きながら許容し、生活への被害を最小化する”、そんなモデルだと思います。

清い水と緑の草と青い森。

大分汚してしまいましたが、未だ残っています。私たちは、とんでもない豊かさの中に生きているのだと思いませんか。

4月の半ば過ぎにトラクターで整地した畑の8月の様子
(ブログ「トラクターいただきました」「畑に居ると見えてくるものが、きっとある」参照)
一番大きな畑 草の伸びた大きな畑 2
耕した畑 草の伸びた畑
「この怠け者めが」とご先祖様の叱責を受けています
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台風9号が、怒涛のように通り過ぎました。

8月22日(月)台風の接近で雨と風が強まりつつある中、お昼まで畑に出て作業をしました。台風に備えて、大豆畑の一部低いところに土を盛り、土嚢を積みました。整地を請け負った業者が畑を平らにせず、中ほどに低いところが出来てしまったので、集中豪雨により畑の中の低いところに水が集中しないようにするための配慮です。

20日(土)は、雨時々曇り。午前中、ゴマの芯止めをしました。「花から見て来て、実が大きくなっている手前で切り落とす」先端から実の状態を見て、小さいものを除去していく作業です。上へ上へと伸びていく成長を止め、実に養分が回るようにすることと、風で倒れる可能性を減じることが目的と理解しています。午後は、田んぼの草取りの続きをしました。
ゴマの花 芯止めした後のゴマ畑(花の写真から1週間後)
芯止めしたゴマ
21日(日)は、晴れ。暑かったですね。8時過ぎから14時まで、途中スイカ休憩を挟みましたが、ほぼぶっ通しで大豆の摘心をしました。畑一枚、昼までに仕上げますと約束したのと14時に人と会う約束があったため、必死に働きました。作業の見積もりを誤り、昼ごはん抜きとなりました。

摘心は、夏場の雨は植物の成長に直結しますので、台風前に行い、過繁茂を防ぐことが目的です。また、丈が高くなると倒れ易くなるので、上に茎が伸びるのでなく横に葉が増えていくようにし、やはり台風の影響で強風による倒壊を防ぐ狙いもあるようです。

台風の作物に与える影響は、計り知れないほど大きいです。昨年、埼玉の農家の話ですが、ゴマが倒壊し、起こして土を盛ったのですが、殆ど実のならない畑がありました。時期が収穫に重なると、収穫できないこともあるかもしれません。今年は、これから大型の台風が数多く発生すると聞いています。稲や葡萄など、どうなるか心配しています。

沖積平野は、河川の運んできた土砂が溜まって出来た肥沃な土地で、農耕に適しています。自然の恵み、ですね。台風の大雨により河川が氾濫することが土地を肥沃にしますが、ヒトが農地とし集住するようになると、自然現象であり恩恵の源泉である「洪水」は厭うべき「水害」に変わります。

台風は悪でも善でもありませんが、ヒトの生活圏と交わることで「被害」という足跡を残します。台風を一例とする自然は、ヒトという視点を通過することにより、自然そのものとは別な何か、ヒトの生活の原因と結果として常に対象化されているような気がします。それは必要なことだと思いますが、時にあまりに近視眼的で、より重要な真実を隠しているようにも思います。

自然を、私たちの手の内に入れられるものでなく、私たちがその手の内にあるものとして畏怖する精神性、謙虚さ、変な言い方ですが科学的アニミズム、アニマを霊ではなく生命もしくはエネルギーを消費する活動(体)として定義し、万物を対象ではなく存在として認めていく感じ方、考え方、みたいなものがあっても良いように思います。

台風の豪雨によって河川は濁流となりますが、雨水は大切な資源でもあります
用水路の看板 ミミズ ×347
ミミズが、道路に瞬時溜まる膜のような水の上を気持ちよさそうに滑っていました
8月13(土)14(日)の2日、田の草取りをしました。

水田というのは、田植えから稲刈り直前まで水を張っているものと思い込んでいましたが、中干と言うのでしょうか、水を抜くことがあるようです。その水が抜かれた田で、ヒエ、オモダカ、イヌホタルイを素手で取り除きました。恥ずかしながら成果は筋肉痛のみで、田んぼの半分もきれいに出来ませんでしたが。
水を抜いた田んぼ
仕事とは、着地を想定し、投下労力と効率を勘案しながら、この作業は今時間を掛けて100%仕上げるべきか、浅く広く30%の出来で構わないが短時間で切り上げるとするのか決め、その通り遂行することだと思います。この2日、私にはどの程度草を取り除くべきか判断できず、きっちり1枚、仕上げることが出来ませんでした。「少しは頭、使えよ」「仕事、しろよ」次は、何とかしたいですね。
田の草取りをする川口 かがんで 田の草取りをする川口
水が抜かれていても、土というか泥は水を含み、畑とは足の裏の感触が違いました。そこにはカエルがたくさんいて、一足一足、進む度にぴょんぴょんん逃げていきます。目を上げると、トンボが群れていました。

日本の水田は2500年から3000年の歴史を持つとある本で読みましたが、今のような全国的な田園風景となったのは江戸中期で、比較的新しいことのようです。戦国時代までは安定して水の得やすい谷間や山麓などに小さなまとまりとして作られていて、17世紀、江戸時代の平和な世の中に進められた新田開発により、平野部に多くの水田が拓かれたのです。ヒトの利益を優先した急激な自然破壊は様々な問題を内包し、耕作が放棄され80年足らずで原野に戻った水田もあるなど持続可能な社会の実現には至らなかったようですが、収穫時期の異なる多種多様な稲が育てられ(江戸中期までは、普通にジャポニカ米に加えインディカ米も収穫していたようです)、半年から1年水を湛え殺虫剤も農薬も撒かれなかった、武家の狩場でもある水田は、ヒトと多様な生物が共生する水辺として、豊かな生態系を形成していたようです。

持続可能な社会を構築するためのキーワードは「生物多様性」「共生」「循環」だと思いますが、肝は「分配」、即ち、ヒトの取り分をどの程度のものとするか、にあるように思います。

江戸の水田は、より美味しい米を食べたいという消費者の要求と人口増に応えるため、次第に単一種栽培へと移行し、生態系の多様性を欠くようになります。量産指向は肥料の大量投下を招き、虫害を発生させ、土地を疲弊し、購入費用の増加は生産者の経済格差を助長しました。水田の急増は治水等のコスト増となり藩財政を圧迫し、受益者である生産者の負担を増大させ、維持管理不能となるものも出てきました。財源確保のために更に水田を増やそうとする、耕作者と対象地の実態を無視した無理な開発により、山から土砂が流れ川を埋め、川を流れ下って海岸にたまり、飛砂となって近郊の農地を荒らすようにもなりました。あの陸前高田の松などに代表される海岸の松は、この頃植林されたものだそうです。

120%を目指して品種改良し、多収穫だが状況変化に弱い稲を用い、肥料を大量投下することでコストと虫害のリスクを増大させ、その対応として農薬を投与し安全性を低下させるのか、ウンカをカエルに食べて貰いながら、スズメと米を分け合って、米の収量は80%で満足し、藁、糠、籾という付随する田の恵みを100%再利用するようにするのか。更には田に水を引くための土溝や溜池を再生し、ドジョウやフナ、タニシ、ひょっとすると昔は結構いたらしいウナギなどの棲家を提供し、水鳥を呼び、少しく豊かな生態系(ヒトにとって「水田」は、他の生き物からみれば「水辺」である)を意図して創っていくのか。

日本は水の国だと、私は思っています。

水が清らかで美しく、優しくせせらいでいる水辺や良質な伏流水を至る所に持つ国は、世界にそんなに無いんじゃないかと思います。この水資源を最大限生かして、国土全体の生態系を再構築し、例えば分散型の小規模水力発電を多用するなどした、未来志向の持続可能な社会を世界に先駆けて実現させたいと思いませんか。

日本の食料自給率は、2013年度、カロリーベースで39%ですが、米の自給率は96%です。商品として競争力のない米を作り続けることに疑問を持っていましたが、「水田」という視点から米作りを再考し、有事への備えとしてこの水準を維持することを含め、瑞穂の国として私たちの日本をデザインしていくという戦略も無くはないかな、と思い始めました。

田んぼにはカエル
ゴマの花 持って行った米袋に飛び移った田んぼのカエル
隣の畑にはゴマの花
8月6日(日)、炎天下一人、田の草取りをしました。

午前中1枚、午後1枚、電動はったんころがしを使って、大きく育ったオモダカと格闘しました。「もう遅いんだけど、やってみてくれる」早め早めに、きっちりはったんころがしを転がしていれば、恐らく今これほどのオモダカは生えていなかっただろうと思います。私たちが浅く転がしたため根が残り、繁茂してしまったのでした。
電動はったん
午前中は、しんどかった。1時間ちょっとで休みを取ったのですが、乱れた呼吸が5分しても元に戻らず、手拭いを頭に載せ「ハーー」「ハーー」と肩で息をしながら座り込んでしまい、10分ほど立ち上がれませんでした。「兎に角、午前中に仕上げないと」。気合を入れて立ち上がり、転がすというよりは、体を前傾させ腹で押す、といった感じで、青い空、白い太陽、緑の稲、ギリギリするような夏のハイコントラストの中を行っては帰り、行っては帰り、ぬかるみを20往復程して、何とか昼前に作業を終了しました。

田んぼの中で泥に足を取られながら25mほどの距離を行ったり来たりしていると、結構いろいろなことが頭の中を駆け回ります。

例えば「環境とは何か」とか。

農業は、自然を直接相手にしている、極めて人間的な活動です。その歴史は、単純化すれば森林を消滅させ動植物を排除してきた、環境と生態系の破壊です。人間は、定期的に食料を得るために、森の木を伐り、土地を開墾し、川の流れを変え人工物で固定し、灌漑を施し、農地を作りました。そして品種を改良し、施肥を施し、虫害を除き、収量を増やしてきました。今日では、植物生理に働きかける農薬と遺伝子組み換えによりその農薬に耐性のある作物を作り、その組み合わせで効率的な農業を営むようにもなりました。

人間は、環境をマネジメントする対象として扱い、してきたと看做しているように思います。しかし私には、それは単なる資源搾取と環境破壊でしかなく、活動規模がグローバルに拡大した結果、ご自慢の科学の成果が、私たちの手に負えない途方もない副作用を及ぼすようになってしまったように見えます。

人間がヒエラルキーの頂点に立ち、他のあらゆるものとは異質の優れた者であるとする人間中心主義から離れ、他のあらゆるものと同様に環境の一部であり、役割分担を全うし、取り分を独占せず分かち合うことで全体を維持していくという、環境主体主義へとパラダイムシフトを迫られているのではないか。汗を流しながら、そんなことを考えます。

変えるべきは環境ではなく、私たち自身ではないでしょうか。

「環境」とは、私たちのロジックで理解し、私たちの視覚に映っている脳内映像ではなく、私たちを含めた今ある全てと考える、そうした考え方もあるのではないかと思い始めました。

畔に、小豆が植えられています。雑草と共にあることで、強く逞しく育つと聞きました。
畔の小豆 稲を背景に 畔の小豆2
畔の小豆 大豆の芽
先週、不耕起の畑に金づちで穴をあけ、大豆の種を置き土を被せました。右下の写真は、1週間後に発芽した大豆の芽です。農地は整えるもの、とは限らないようです。

生きていく状況の全てを環境と呼ぶのなら、「循環型社会」の実現とは、環境における私たちの居場所を、ポジショニングすることではないかと思いました。
私は、農業というと田んぼを思い浮かべていました。

田んぼは、私にとって懐かしい風景の一つです。私が生まれ育った所は大宮市と呼ばれた、確か当時20万人程度の人口を有する東京近郊の都市でした。街中で育ったとはいえ、学区域の直ぐ外側、自宅から歩いて30分もすると、見沼田んぼが、江戸時代に作られた手前の用水と遠くに見える広葉樹の林の間に広がっていました。
田んぼにいた鶴っぽい鳥 鷺かも 大分育った私たちの田んぼ
従って「田んぼは日本人の原風景」と誰かが言っても、違和感は全くありませんでした。私の心象風景ですから。

ところが、同じ埼玉の所沢や入間に行くと、田んぼはありません。農業というと畑作であって、水稲作ではありません。ハレの日の締めは、うどんだと聞きます。米ではなく、小麦文化なのです。

最初に農業の修行先に選んだ土地で出会ったのは、田んぼの無い世界。正直かなり、ショックを受けました。「田んぼ、無いんだ。出来ないんだ」自分自身が崩れるような、何か拠り所を失ったような感じがしました。

それからは、田んぼの無い農業風景が、むしろ当たり前になりました。

よく考えてみると、農耕民族の弥生人ではなく狩猟採集民族の縄文人が日本人のルーツで、江戸時代に米を作った農民が米を満足に食べられなかったと教わった記憶がありますが、必ずしも多くの日本人の主食となっていなかったのならば、何が何でも「田んぼ」「米」とはならないように思います。

やっと日本人全てが腹いっぱい米を食べられるようになったら、食べなくなってしまった(参照:”米離れ止まらず”)。日本=田んぼ、日本人=米。そんな単純化は、誰かの策略・作為・誘導ではないかと思ってしまいます。

8月1日(月)小さな私たちの田んぼの草を、一人、1日かけて取りました。

何時間も中腰になって、強い日差しに皮膚を焼き、汗をかき蚊に食われながらの作業は、大変です。私にとっては、自分の仕事なのでやって当たり前の労働です。しかしこの作業が私たちの原風景を保つことなのだとすると、もの好きなお前がやっていればいい、と簡単に済まされないように思います。「日本人の原風景」だとか「日本人の心」というものがあるとするならば、それらを実体化させる私たち個々人の精神と肉体の活動が無くてはならないでしょう。

何もせず「癒される」「これが原風景だ」などと言っているなら、それはただの観光であり、レクリエーションでしかない。生活が商品化され切り売りされ、全てを金で買っていると、人は、生活という商品の消費者となり、人は生活そのものから離れた虚ろになっていくように思います。

日本人の原風景とか日本人の心とか言うのであれば、それらは自分の時間を割き、自身がその実体の一部となるよう努力することを求められるもの、であるように思います。

集合的な意味での原風景とは、実際にそれがあったとしても、過去に見たどこかでは無く、次世代に残すべき未来の現実としてあるべきもの、残す努力をするもの、なのでしょう。

田んぼが無くても、誰も困らないかもしれない。あってもなくても、残っても残らなくても、どんなに遠く遥かなことであっても、自分が全く無関係ではないという事実を忘れたくないと思います。

他人事として、良い、とか、悪い、とか言うの、止めませんか。

6時前。朝露に光る稲は、美しかった
田植え後1~2週間の稲 朝露に濡れる稲
田植後2週間の私たちの田んぼ アングル角から 8月1日 私たちの田んぼ
田植をして1ヵ月とちょっとですが、随分と育ちました