FC2ブログ
10月最後の週末、私たちの小さな田んぼの稲刈りをしました。
稲刈り前の稲 左向き 稲刈り前の稲
苗間を作り、手植し、はったんころがしを転がして草を取り、テグスを張ってスズメの来襲に備え、初心者なりに面倒をみてきた稲です。半年を経て、黄金色に豊かに実りました。その美しく命に満ちた田は、人ひとり一日ほどで済む作業で土に戻りました。
10月初旬の田んぼ 晩秋 稲刈りで風景が変わる
稲刈りは、10月29日(土)午後から一人で始めました。夕刻までに終える予定でしたが、バインダーと呼ばれる稲刈機に異常が生じ果たせず、翌30日(日)朝9時から仲間と二人で再開し、お昼までには大方の作業を完了しました。稲木(いなぎ/いなき。稲掛け、稲架とも言われる、稲を天日干しにするために、田に杭打ちした支柱に横木を渡したもの)の長さが十分でなったので、はざ掛け(稲木に稲束を広げ掛けていくこと)を一旦中断し、午後、畑での別作業を優先させ、16時半ごろに再開し、日没直前に作業を完了しました。

作業の手順ですが、先ず、テグスを外します。これに結構、手間取ってしまいました。次に、四方をバインダーがターン出来るように手刈りし、バインダーで外から内へ、四辺をぐるぐる回りながら刈っていきます。手刈りした部分を刈り切ってしまうと直角に曲がり連続して刈ることが出来なくなるのですが、畔と稲とのスペースがターンに十分な広さになってくるので、中へ切り込んで長方形を二つ作り、長い方の二辺を刈るようにします。
稲刈り前の田んぼ 奥北隅 稲刈り準備 隅を鎌で刈る
バインダーで稲を刈る バインダー
稲を刈って出来たスペースに、木の杭を打ち込み、横木を紐で固定し稲木を組み(横木には竹を使いました)、上部が小さく下部が大きいX型の支えを数か所置き、より稲木が安定するように補強します。
袈裟懸けの準備
刈り取った稲は適度に紐で束ねられていますが、稲穂が絡まったりしているものもあるので、穂が全て一端にそろうように整え、作業スペースとして株3つ分ほど稲木から離し、並べていきます。
絡まった穂先を、稲束の先に揃うように、ほぐす 刈った稲を袈裟懸けに干す
並べた稲の束を、一段目は1対2に分けて稲束を広げ、二段目は1対1に分け、穂の根元を上穂先を下にして、一つ一つ稲木に掛け、穂の根元を叩いた後、支柱に押し付けるようにして横木に置いていきます。
干した稲
天日干しは、2週間が目安だと聞きました。後はのんびりと、時間とお天道様にお任せすることになります。
スポンサーサイト



10月11(火)12(水)13(木)の3日間、インドネシアに行ってきました。

目的は、ジャカルタで開催されたTrade Expo 、インドネシア商品の輸出を目的とした展示とビジネスマッチングの場、に参加することでした。11日夕刻ジャカルタに着き、貿易省(Ministry of Trade)主催の晩餐会に出席し、12、13日Trade Expoに行って、会場からスカルノ‐ハッタ空港へ直行し、夜飛行機に乗り、14日朝9時に東京に戻りました。
トレードエキスポ会場 トレードエクスポ入り口
お金も縁も何も無いので、まさかインドネシアに行くとは想像だにしていませんでした。

不思議なものですね。動いていると、目的とは直接関係ないかもしれないけれど、何かが起こります。誘いに乗るべきか、捨て去るか、どちらが正解か分かりませんが、今は、可能なことはやろう誘われているうちが花だから、ということで行ってきました。

都市生活者参加型の農業を目指して動き出しましたが、日暮れて道遠し、今のところ誰にも相手にされないので、メシを食うために、作り始めた小麦のマネタイズを考え、需要が見込めるらしいハラル・パンを作ることにしました。

大使館に行ってサポートが受けられるのではないかと思いつき、イスラム教徒が多い、昔証券会社時代担当していたインドネシアの大使館にコンタクトしました。会うというので行ってみると、事前にメールで尋ねた内容は全く関心の外で、商務担当部長とのミーティングはインドネシア商品を輸入しないかという話で終始し、Trade Expoがあるから来いと言われて終わりました。

目的を果たせなかったので、会社人間だったら時間と交通費の無駄ですが、一人独立して動いている市井の個人には、大使館とコネクションを持つことはそれだけで良いことです。来いと言われれば行けばいいのではないかと思い、幸い航空運賃が57,860円、大使館に指定されたホテルが1泊14,000円と、2泊で10万円程度で行けることが分かり、参加することにしました。
エキジビションの踊り ジャカルタはバイクがいっぱい
面白かったのは、私がしようとすることには何事にも反対する家内が「行くべきだ」と言ったことです。「えっ、どうして」ちょっとビックリしました。私が当たり前のこととして、大使館に行き、担当者と話をし、ジャカルタに行く、この段取りが多くの人には思いつかないし、実行に移せないので、「良い機会」だから逃すべきではないと言われました。更に、コンタクトしても、直ぐに行くことを決め実際に行くことは皆中々しないので、行くことは大きな意味を持つとも言っていました。

自分には何の技術も才も無いと思っていますが、もしかすると証券時代に培った他者と接触し、関係を作っていく、ゼロから何かを成し遂げる技能と、日本の外に視野を広げ世界との繋がりを持ち得る感性と経験は、大きなアドバンテージなのかなと思いました。

車中1泊(帰りの飛行機のこと)、3泊3日の短いけれど結構疲れるビジネストリップでしたが、行って良かったです。
エキスポオープニングセレモニー コーヒーのブース
貿易省の局長(Director General)と名刺交換できましたし、食品を中心にインドネシアの商品に触れ、生産者の話を聞けましたし、日本からの参加者とも意見交換できましたし、有機農業をされている方ともお会いしましたし、サンプル商品を持ち帰ることもできました。今後実際に輸出入を事業と出来るのかは未だ分かりませんが、ヒントは沢山いただきました。成果と成しえるかどうかは、自分の力量次第だと思います。

ジャカルタは、好きな街です。1993年~95年、証券会社時代に担当者としてよく出張で訪れました。東京と似ているように思えて、行くと懐かしい感じがします。人々は笑顔で接してくれるので、私には居心地のよい都市です。

インドネシアは文化のある、大国です。人々にどこか余裕があるように、感じられます。そんな懐の深さが、旅人に安心を与えてくれるのかもしれません。そして何より、男女平等がかなりな程度で実践されている国でもあります。今回お会いした局長始め、多くの女性官吏にお会いしました。昔担当していた時の中央銀行のマネージャーも女性でした。カルティニ(「男女平等の先駆け‐カルティニ」参照。スクロールして下さい。最後に記載されています)という偉人を生んだ国です。
道を掃く人 ホテルからの眺め
帰る日の午前中、ホテルからプラザ・インドネシアという街の中心まで歩いて往復しました。行きと帰りに2度、道を掃除しているおばさんとすれ違い、「Good morning」と挨拶すると笑顔が返ってきました。私も微笑みます。こうした瞬間、とても好きです。生きていることが、とても喜ばしく思われます。

滞在中や飛行機の中で、いろいろな人といろいろな話をしました。

「ジャカルタ市内の川は、昔茶色く濁っていたがその水で洗濯するとシャツは白くなりました。今は、洗うことが出来ないほど、汚染されています」「経済的に豊かになるというのは、こういうことなのでしょうか」
「日本の経済発展の姿が、インドネシア人には良いものとして映る」
「清くあったものが、どんどん失われ二度と手に出来なくなります。日本はそんなに、いいところではありません。ジャカルタの川のように。それでもいいのですか?」
「より便利で、快適に暮らしたい」

この話をしたとき、あなた方はとても恵まれた生活をしているのですよ、と言われたような気がしました。そして、自分がしたり顔して偉そうに何事かを口にしていることを、恥ずかしく思いました。

今、スチュアート・ブランドの「地球の論点」を読んでいます。遺伝子組み換えはアフリカの飢餓を救う、という話が出てきます。私にはその是非を判断する学識も経験もありませんが、一つだけ言えることは、自分の現実で物事を語り、決めつけてはいけない、ということです。

日本の外に出ないと駄目だな。旅を終えて、そう思います。

吉野家の牛丼カー 横 吉野家の牛丼カー 後
吉野家の牛丼カーは、新鮮な驚きでした。
10月9日(日)枝豆を朝採りしました。

枝豆は気温が上がる前に収穫するものと教わったので、朝6時に畑に行き、必要数の株を鋏で切り取りました。他にやるべき仕事が幾らでもある農家では、夜明け前の暗い畑をライトで照らしながら収穫をするそうです。
畑の大豆 葉っぱもあるでよ 太い幹 根本近くまでなる実
枝豆というのは、ご存知の通り大豆を未熟な青豆で収穫したもので、枝豆という種類の植物があるのではありません(ウィキペディア“枝豆”参照 )。私がお手伝いしてきた関東の農家では、大豆は6月~7月(小麦の収穫後)に種を撒き、10月~11月に収穫します。枝豆は完熟前の大豆を収穫するので、9月~10月が収穫時期となります。
早朝の不耕起大豆畑 畑の枝豆
消費者の常識では、枝豆は夏にビールと一緒に食べるものですが、どうも私の理解では夏場の出荷は難しいように思われます。元々の旬をずらして生産しているのではないかと思われますが、時期をずらして無理をしていることと夏場という季節要因から、何もしなければ相当な虫害を受けることが予想されます。そのため恐らく、かなりな量の農薬を使用していると推測します。

私が朝採りした枝豆は無農薬のものですが、多少虫に食われているものの、大きな問題はありません。ヒトの都合で作物に無理を強いなければ、虫もお腹が膨らみ、私たちも美味しく枝豆を味わうことが出来ます。季節に逆らわなければ、虫たちと大地の恵みを分かち合い、共に自然の豊かさを楽しめるのかもしれません。

共生の前提は、私たちヒトの慎みにあるように思います。

8日(土)は、1反程の畑に鶏糞を撒きました。
 
前日少し飲んだためかちょっと寝坊し、関越道に向かったら物凄い渋滞のため下道を走ることにして、藤岡到着が10時。11時到着を予想していたので、一般道を選択したのは正解でしたが鍵を忘れていて、大家さんに借りに行ったりしているうちに時間が過ぎ、畑に出たのは、結局11時となってしまいました。

開始が通常より2時間遅れたこと、段取りを組むのに時間を費やしたこと、慣れない仕事でさっさと片づけられなかったこと、等から仕事を終えたのは、真っ暗な夜の19時過ぎでした。

畑に均等に撒くため、鶏糞を入れた大袋を39個、均等に畑に置き、袋から袋へと鶏糞を首から腰に吊るした小桶のような容器に移し、撒いては入れ、入れては撒くことを只管繰り返しました。肩に妙に力が入って筋肉が硬直してきたのと、軽く握っては投げるように撒く動作の反復で右手が痛くなってきて、結構な労働でした。
鶏糞の袋を置いた畑 ちょっと大映し 桶の中の鶏糞
漸く8列終えた暗くなりかける17時過ぎ、未だ5列残っているので止めたくなりました。しかし、翌日雨の予報を知り、途中で止めるなら配置した袋を回収しなくてはいけないし、管理上1枚の畑の作業は同日仕上げるべきだし、遅く来たのが悪いのだし「やっぱ、やらないと」と思い直して、陽が落ちても作業を続けました。幸い、暗いと言っても隣のお墓がぼんやりと見える程度だし、鶏糞が白いため撒いた跡を確認出来るので、家に帰って憂いなく我が”畑のビール”を飲むことだけ考え、必死に撒きまくりました。

撒いた鶏糞は、自家製の発酵鶏糞です。

抗生物質等に侵されてない健全な鳥を自ら飼い、餌から管理出来ている、100%トレーサブルな無化学肥料栽培。鶏を飼うのも手間がかかるし、鶏糞を集め、発酵させ、1年寝かせるのも手間だし、独り立ちした時自分に出来るのだろうかと自問しました。

こうした大変な努力があって初めて、循環型社会は可能になるのだと思いました。
10月1日(土)終日、大豆畑の草刈り、2日(日)私たちの田んぼのヒエ取りと畔の草刈りをしました。

朝9時、20℃と大分涼しくなってきました。土曜は雨交じりの曇りで、日中の気温も上がりませんでした。日曜は晴れ、昼前後は暑くなりましたが、それでも車の車外温度計は28℃で、漸く夏の終わりを体が受け止められるようになりました。秋ですね。
実り穂が垂れ始めた我が田んぼの稲 畔に咲く彼岸花
私たちの田んぼの稲も実り、穂が垂れてきました。畔には、彼岸花が咲いています。

水を抜いた土堀の両脇の草を刈っていたら、とんでもない数の根を茎から歯ブラシのように生やしている草に出会いました。

生きるというのはこういうことなのだ、と思いました。自分の中にある、あらゆる力を呼び覚まし、出し切って初めて「生きています」と言えるのだろう、と。口先だけの自分を恥ずかしく思い、私よりはるかに立派に生きているその草たちを何だか申し訳なく感じながら刈り、畔の上に置きました。 
根だらけの雑草 茎から根を生やす雑草
その向こう側では、6月に小人のように小さかった時から花を咲かせ実をつけたオクラが、他の果菜は疾うに力を失った10月の今日、未だ元気に笑顔で、大地にしっかりと立っています。あんなに小さくて、ちゃんと育つのかなと心配したオクラです。20cmぐらいで茎も細かったのに、1mを超え茎も木のように固くがっしりとして、ちょっとの風には揺るぎません。逞しい生命力です。
6月初旬 10cm 程度のひ弱なオクラ 10月に未だ花を咲かせるオクラ

凄いな。植物って凄い。そう思いました。

土曜日、間違って草刈り機で切り落としてしまった二株の大豆を持ち帰りました。車に積むと、車内が青く柔らかくほんのりと甘い匂いに満たされ、豆の力に疲れた体が優しく包まれるように感じ、とても心地よかったです。
畑の大豆 枝豆
そして、鍋で茹で、生きる力をいただきました。