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漸く、畑仕事が始まりました。

お世話になっている農家にお願いしていたトラクターの調整が終わり、お借りする予定の畑5枚のうち4枚を、トラクターで耕しました。1月26日(木)。今年初めての、農作業です。

夜が明ける6時少し前に練馬を出て、8時45分に藤岡の家に着きました。気温は2℃。畑に行き、10時からトラクターを動かし、16時30分まで畑を行ったり来たり、一日運転していました。とても良い天気で、ちょっと日焼けしたようです。

4月に乗って以来全く運転していなかったので、先ずは公道に面していない、即ち人目につき難い北側の畑でちゃんと耕せるか、こそこそと始めました。兎に角、エンジン掛けてハンドル握って後部の回転刃を下げて真直ぐ走って端まで行ったらブレーキ踏んで、回転刃を上げて180度ぐるっとターンして真直ぐに戻して回転刃を下してまた走って、を繰り返しました。
鉄塔の近くの畑でトラクターに乗る トラクター
ところが、真直ぐは取れない、ターンが出来ない、ブレーキを踏みこんでハンドルを思いっきり切ると土が抉れて盛り上がり、耕しているのか土をほじくり出しているのか分からないような酷い有様で、我ながら「酷でーなー」と思いました。とは言え、自分一人でやるしかないので、慣れの問題と割り切り、ひたすら行ったり来たりを繰り返しました。
最初のトラクター耕運 酷い トラクターで耕運した鉄塔の近くの畑20170126
4枚終えた夕方には、多少扱えるようになったと思います。

今年の目標は、技術を研鑽し、必要最低限の資格を取得することです。今月、パンを焼いて販売するために必要な食品衛生管理責任者の資格研修を受け、労働安全衛生法に準拠した刈払機取り扱いの教育研修を受け、修了証を取得しました。残るは、トラクターを十分に乗りこなせることと、大型特殊運転免許と酒販免許の取得です。

未だ小さなピースを一つ一つ、不細工に手作業で作っていて中々前に進めないでいますが、焦らず確実に、出来ることを増やしていこうと思っています。

昨年12月、米を作った二畝の田んぼに蒔いた小麦
二畝の田んぼ畑に撒いた小麦 二畝の田んぼ畑の小麦20170127
順調に育っているので、嬉しかったです。
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正月3日、4日、家内と映画を見ました。

「聖の青春」「君の名は。」「彷徨える河」の3本です。備忘録的に、見て感じたことを書き残そうと思って何度か下書きをしたのですが纏まらず、今日まで放置してしまいました。先に進むために一旦区切りを付けるため、過ぎ去り忘れられていく今を反映する時間の断片を、ここに書いておこうと思います。

「聖の青春」は二人とも原作を読んでいて、映像化された作品を楽しみにしていたものですが、羽生善治との関係に絞り込まれていて、病を抱え生きた一人の若者としての村山聖が背景に退いてしまったような気がします。

蛇口から水道水がポトッ、ポトッ、と落ちている場面が2度、出てきます。今日も生きているのか。毎朝、自分がこの世にあることを確認する命の水音ですが、原作を読んでいない人には「だらしない奴。蛇口くらい、きちんと締めとけよ」と言われそうで、村山聖がぎりぎりのところで生きていたことを象徴するはずの基調音が見ている人たち皆に届かないように思われて、ちょっと残念でした。

しかしながら、絞り込むことで見えてくるものがあります。将棋という闘いの場に邂逅した二つの才能が創り出す世界、それは二人にしか行けない、二人にしか見えない海ですが、その、他者は深く潜れないけれど触れ、感じることは出来る世界に、人々が魅了され吸い込まれて人々は生きている。2流棋士であれ、落ちこぼれた棋士崩れであれ、敗者もまた、二人の対局において、将棋を楽しむことが出来る。人が生きる、とはこういうことだと思いました。人とは意味を求める者だと思いますが、勝敗に至る一手一手に、対局を囲む人々も意味を感じるのだと。だから、生きていけるのだと。

「君の名は。」は子供が通っていた学校が出てくるので、何となく気になっていました。実際見てみると、昔住んでいたところから歩いて5分もかからない、よく散歩に行った神社やお世話になっている歯医者のビルの看板なども出て来て、それだけで楽しめました。
須賀神社 須賀神社から若葉町へ向かう階段
「彷徨える河」は東京での上映が終わっていて、横浜での上映を待っていたものです。南米コロンビアの映画。アマゾン川流域を舞台とした、厳しく、美しい映画。その厳しさは胸を締め付けられるほど厳しく、その美しさは目に沁みるほど美しい。これ、すごいです。と藤原帰一が評している話題作。難しい作品ですが、魂を揺さぶられる、そんな映画でした。

大変興味深いことに、探検家の手記に触発されて作られたコロンビアの「彷徨える河」と日本のアニメ「君の名は。」のモチーフに共通する点がありました。

どちらの作品も、時間が錯綜し、結(むすび)と覚醒を通して物語は進行していきます。主人公の一人は神々と係わりを持つ立場にある者で、「君の名は。」では巫女の三葉が瀧と、「彷徨える河」ではシャーマンのカラマカテがテオ/エヴァンと、夢(無意識)で繋がれます。そして、その夢(無意識)に真実があり、夢(無意識)を信じることが生きる力となり、現実を動かしていくのです。

また、どちらの作品にも、彗星が流れる場面がありました。天(地球の外。人智を超えたもの。神の領域?)から大きな力が加わり、私たちの世界が変えられていく、あるいは創られることに私たちの注意が向けられます。
須賀神社の狛犬 あ 須賀神社の狛犬 ん
人の事、人の時間に齷齪して自分を見失っている現代人として、人を超えた何ものかに自分を預け、縮こまった自分を解放し、その先にある自分を信じてみたい、と思いました。
今日は、正月7日。朝、七草がゆを食べました。
七草がゆ アップ
セリ、スズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。

正直、どれがどれだか、分かりません。御伽草子に、6日までに7草を集めておけという話があるそうですが、摘んで来いと言われても到底見分けがつかず、恥ずかしながら私には無理な話です。

何となく、7日は粥だよね、という感じで毎年食べていますが、伝統の承継とするならば、もう少し真剣に七草がゆと向き合うべきかと思ったりもします。

1月7日は五節句の一つ、人日の節句です。実は今日まで、知りませんでした。五節句は全て奇数月のぞろ目で、初めは元旦だとばかり思っていましたが、間違いでした。知らないこと、なら未だいいかもしれませんが、誤って記憶することは大きな問題ですね。

古来中国では、正月の1日を鶏日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにすることになっていて、7日目を人の日とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていたそうです。これが、人日です。

知らないことがたくさんあることに、今更ですが、昨年気付きました。今年は、無知誤認偏見を少しずつ矯正し、物事を正しく見ることが出来るようにしたいと思います。

頭の中はともかく、お腹の中は、お粥ですっきりとしました。
七草がゆ
あけましておめでとうございます。
初日の出 元旦朝 生協病院の先に見える富士
元旦の朝、日の出と富士を見て、夜、夢を二つ見ました。一つは、見知らぬ人と何やら難しい交渉をしている場面。もう一つは、英語の試験を受けていて全く回答できず苦しんでいる場面。恐らく交渉事が上手くいかず、何やら英語を使うことがあり苦労するだろうという、あまり有り難くないお告げだと思いますが、今年は大事な一年となるので、「心せよ。そして、怯えず偏らず相手と向き合い、持てる力を十全に出し切れ」という警句として受け取りました。

腰を痛め、怠け癖がつき、今は、全てがスローです。この正月も3日間、家族と談笑し、口論し、テレビを見、酒を飲む以外、何もしませんでした。

腰は、昨年一年掛け治癒し、漸く動けるようになりました。一昨年痛め、一時は箸も持てなかった手指は未だ痛みますが、そろそろアクセルを踏もうかと思っています。

「忙しすぎて心が迷子になっていませんか」とターシャ・テューダーが言っているように、資本主義的時間の中で齷齪することは避けたいものの、何時までもぶら下がって動かないのもどうかと思うので、麦を踏んだ後ジャガイモを植える前には、人並みに仕事をしている積りです。

整理をしていたら、お世話になった方々の言葉に再開しました。

生 来たらば ただこれ生
滅 来たらば 只管滅に向かいて仕うべし
願う勿れ 嫌う勿れ(道元)

怯むなかれ
気遣いを止めよ(ロレンス)

心を平らかに保ち、しずしずと事に当たること。

年初の思いです。
おせち 皿 おせち 黒豆田づくり他
本年も宜しくお願いいたします。