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ウイルスを敵と見立てた「戦争」という虚構を持ち出さなければ問題に向き合えないのか、ずっと疑問に思っていました。そこで、コロナウイルスの影響について自分なりに考えを纏めたかったのですが、よく分からないので断念しました。あれこれと、ちっぽけな頭の中でぐるぐるすることを止め、あるがままを見ながら、暫し流れに流されて行こうと思います。

ただその前に、ちょっとだけ区切りを付けておこうと思います。ブログにして誰かにお読みいだくことではありませんが、恥ずかしく稚拙な今の私の考えを、逃げ隠れ出来ないように記録しておくために。

1 敵はいない
「戦争」「有事」という言葉が、乱用されているように感じます。多くの人命が奪われるという事実がある以上極度な緊張状態を強いられる訳ですが、コロナウイルスとは共存していかなくてはならないというのが識者の見解である以上、戦闘状況に置かれているという認識はちょっと違うかなと思います。「非常時だから」という掛け声が錦の御旗となって、非倫理的行動を安易に正当化しているように見受けられ、危惧を覚えます。

“コロナウイルスとの闘い”と呼ばれる状況は、コロナウイルスを原因とする不安を如何に解消するか、と言い換えることができるかもしれません。コロナのこちら側か向こう側かで線引きし、多くの人は自分がコロナの側に居ないならばそれでよしとし、鬱陶しくはありながらも日々生活しているように思います。「お前たちだな。ウイルス持ってきたのは」「感染したの。あっち行って。こっち来ないで」「私(たち)は生きている。生きるべきだ。誰かが死ぬが、それは私(たち)以外の誰かだ」という私たちの心情が、根源的な負の意識としてそこにあるような気がします。

ヨーロッパやアメリカでアジア人をコロナウイルス呼ばわりする差別や、日本におけるコロナウイルス感染者への排除攻撃や、感謝すべき医療従事者への不当な扱い、等はこうした心情の現れでは無いでしょうか。命を生きる“個体”としての真っ当な生理的反応なのかもしれませんが、他者を攻撃することで自己を安全地帯に置こうとすることは、状況を悪化させ、私たち皆の未来を不安定化させます。

攻撃する敵は、いない。
ただ、皆で打ち克つべき困難な状況があるだけ、だと思います。

2 気楽に隔離されよう
「緊急事態宣言」なるものが何だったのかよく分からないままに、何故PCR検査を日本では増やせないのか、日本の死者数が桁違いに少ない理由は何か、等の様々な疑問・課題が残されたまま、殆どの地域で「緊急事態宣言」は解除されました。残された首都圏と北海道でも、まもなく解除されるようです。

「ハンマーアンドダンス」なる戦略のダンス段階に移行するようですが、社会が大きな混乱に陥り、現状分析が明確に行われていない中で秩序を再構築していくことが容易でないことだけは、確かだと思います。むしろこれからが大変ではないか、と推測します。

社会を安定化させるために、先ずは“早期受診⇒陽性=隔離“という医療手順・体制を日常化することが急務かつ必須と考えます(インターパーク倉持呼吸器内科の倉持仁医師や山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長がこのような発言をされていると理解しています)。

「隔離」に極度の恐怖を感じる人が多いのかもしれませんが、気軽に「隔離」を受け入れられる社会であることが大事だと思っています。「コロナウイルス感染」を堀江貴文さんが言うように“風邪をひいた”程度の感覚で捉え、感染を隠蔽排除する風潮を是正すること。全ての人がコロナウイルス感染をただの病気と受け止め、早期発見・早期治療で重症化を極力防ぐことが、極めて重要になると思っています(風邪で隔離はしないだろう。変な話だと言われそうですが)。

3 分からないことを分からないとしておくこと
“コロナウイルスとの闘い”と言われる背景には、「科学と技術をもってすれば人間には解決できない問題は無い」といった驕りのような勘違いがあるように感じています。人間が全ての頂点にあって、世界をコントロール出来る、との思い込みがあるのではないかという疑念です。「闘い」という言葉を使うとき、この闘いに“勝つ”という含意があるでしょう。

科学とは、オープンな議論のことだと理解しています。どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとする科学という方法論は戦争と深く関係を持ち、科学の側にある私たちは常に優位に立てるという感覚を生じさせるように思いますが、科学は万能では無く、その本質は支配や勝ち負けとは無縁だと思います。

勝たなきゃいけない、解を得なくてはいけない、という強迫観念から自由になり“出来ないことは出来ない”“分からないことは分からない”とする“留保(オープンに)”しておく精神的態度が重要だと思います。留保することは放棄や逃走ではなく、“ここまでは分かった。いや待て、本当か。もう一度見直そう。大丈夫そうだ。すると、ここから先は・・・”と常に“考え続ける”ことです。精神的に辛く厳しい状況に自らを置く、物凄くエネルギーが必要なので大変なことですが、今後ますます必要になって来るように思います。

全く関係ないことだと思いますが、解剖学者の養老孟司東大名誉教授の「ヒトゲノムの4割がウイルス由来だと報告を読んだことがある。その4割がどのような機能をもつか、ほとんどまったく不明である」との投稿があります(朝日新聞2020年5月12日(火))。

4 リスク
堀江貴文さんは、「解除したら、たがはもちろん緩みますよ。感染者数もまた再び増えるかもしれない。どうするのっていったら『一生このまま家から出ない様にしますか』それとも『ウイルスと共存する道を歩みますか』。これはウイルスと共存するしかないわけですよ、ここまで広まっちゃったもんだから」「政治が今、ものすごく安全側に振ってるんですけど、それをちょっとリスクを取る側に戻さないと、(自粛は)一生続きますよ。この状態を一生続けるという事は、人間が人間である事をやめる事と同義です」と言っています(ホリエモン、緊急事態宣言の延長に「一生家から出られませんよって話です」「ウイルスと共存するしかない」)。

「緊急事態宣言」とは、何だったのか。検証されるべき事だと思います。何がリスクで、どのようにマネージしたのか。その上で、今後どのようなリスクマネジメントを行うのか、明確にする必要があると思います。

5 社会的距離・身体的距離(social distancing/physical distancing)
端的に言って、フェースガードをして毎日居酒屋で飲みますか?ということだと思います。
私は、嫌ですね。飛沫を飛ばしながらの、古典的な人付き合い、をしたいと思います。

「彼らは、ちょっとした病気でよく生命を落とした。ほかのアマゾンの多くの部族と同じように風邪を臆病なくらい恐れていた‐彼らの前で咳をすると常に顔色が変わった‐が、ほかの部族と違って病気になると、治療を拒んでしまう。一度でも頭痛がしたり、出血したり、怪我をしただけで、死の支度を始める。薬を飲むことや治療を受けることを拒むのである。≪何のため?いつかは、死んでしまうのに≫これが彼らの言い分である」(バルガス=リョサ「密林の語り部」)

6 グローバリゼーション
否定的な議論が散見されますが、“グローバル(”globalized“という訳語を考えています)”な社会は前提で、地球規模で考えるモデルにそぐわない企ては、選択肢にならないと思っています。
コロナ危機が促す反グローバル化と国内回帰
コロナ禍が炙り出すグローバル社会の深刻な「無理・課題・リスク」

国際協調が求められる正にそのとき、米中が覇権争いをするなどしていてリーダー不在の世界に危惧を感じられる向きもあるようですが、そこに未来は無いと思います。

良い加減なことを言って笑われそうですが、基軸通貨や通貨主権といったことを含め、大きな構造変革が起きるような予感があります。

7 エッセンシャルワーカー(essential workers)
「必要」(≒essential)が、キーワードの一つとなるように思います。

どのような社会で暮らしたいか、という核になる青写真を持ち、そのために必要なことは何かを考え、未来を設計していくと、仕事とか労働の意味や内容が変わり、家事などのアンペイドワークを含め、エッセンシャルワークに人的資源が流れていくように思います。

8 テレワーク(teleworking/work from home)
会社に行かなくていい、ということでは無いと思っています。仕事の仕方が変わる、ということでしょう。平たく言えば、無駄が沢山有ったので省く。結果、職場の人の数は相当減ると推測します。必要なことは何かの見直しが徹底的に行われ、大量の失業が発生する可能性があるかもしれません。新たな機会がもたらされるかもしれませんが、少なくとも、多くの業務が無くなると思います。

コンピュータの世界でオンプレミスからクラウドに移行してきたように、自社とは本当にコア部分で十分だとの認識が一般的になり、外部リソースの活用を最大化する動きが加速するかもしれません。

事務所も本当に必要なのか、という議論が起こって来ていると思います。仕事量=社員数の減少とともに、職場スペースの減少が起こると思います。東京のど真ん中に立派なオフィスを構えていることは見栄であって、不必要なコストだという議論が起き、都市機能が変化し、田園への人口分散が促進されるかもしれません。都市の地価が下がる、という現象が起こるかもしれません。

9 格差社会
既にかなりな格差があります。循環しない通貨をやたらに増加し資産を偏在させているばかりでは、今後、格差は更に拡大するでしょう。

10 不要不急
コロナウイルスを契機として一連の社会変革が起こっていくと思いますが、AIとの立ち位置というか棲み分けというか、人間の領域とは何か、が問われるように思っています。そのとき、「効率」の追求と次元を異にする「不要不急」という概念が大きな意味を持つような予感がします。

タンポポ 淡紫の花
草花は、昨年と変わらず春を楽しんでいるのかもしれません。そうでないかもしれません。来年は、造成され家が建ち、そこで再び咲くことは出来ないかもしれないけれど、その時はその時のこと。彼らは、ただただ、静かに運命を引き受けているような気がします。
深紅の花3 青い五弁の花2
常に何者かに脅かされながら、其の者たちと共に生きていく(死んでいく)ことをどのように受け入れるか。コロナウイルス問題の本質は、ここにあるのではないかと思います。
春の草花のように静かにしかし毅然として、よりよい明日を迎える今日の努力をしていきたいと思います。
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母の日に、子供とカステラを作りました。
子供は家内(母)に、私は母(祖母)に。
ハンドミキサーで素材を撹拌 フライパンにカステラの素を載せる
残念ながら、正直イマイチ。否、イマサンくらいだったでしょうか。
お菓子というよりは、カステラ味のパン、といった感じでした。
焼き上がったカステラ カステラ
「カステラパン」の一言に、母も家内も笑っていました。
社会的距離“social distancing”という言葉を聞くようになり、凄く嫌な言葉だな、と思っていました。

米国疾病予防管理センター(CDC : Centers for Disease Control and Prevention)によると、自宅から外に出た場合、以下のことをしないことだそうです:
 ・6feet≒1.8メートル(だいたい二人分の腕の長さ)他者と間隔を取る
 ・集団行動をしない
 ・混雑した場所を避ける
身体的距離“physical distancing”とも言う、と書かれています。
世界保健機関(WHO : World Health Organization)は、身体的距離(physical distancing)のみ使用していて「少なくとも1メートル(3feet)空ける」ように推奨しています。

日本ではつい最近、“新しい生活様式“なるものが厚生労働省HPに公表されました。
そこに、「身体的距離の確保」が感染防止の3つの基本の一つとして挙げられ、以下のことが書かれています:
「人との間隔は、できるだけ2m(最低1m)空ける」
「会話をする際は、可能な限り真正面を避ける」
更に、食事は「対面でなく横並び」で「料理に集中、おしゃべりは控えめに」とあります。

“新しい生活様式“が、今より後社会はそうあるべきだ、あるいは、日本国居住者はそうしなければいけない、なのか、日本国民であればそうしろ、というのか、何を意味するのか分かりませんが、通勤通学電車内では先ず実現不可能なこと、なのは分かります。

何故、現状不可能なことを“生活様式“として、敢えて公表するのでしょうか。
満員電車を本気で無くそうと思っているのでしょうか。それは無いでしょうね。

国との距離感がありすぎて、どうにもならない気がしています。国とコミュニケーションが取れない。
自由な市民社会においては、“生活様式“は個々人が探し求め、生活の中で作っていくものだと思いますが、如何でしょうか。

仁坂和歌山県知事や鈴木北海道知事の果断、迅速な対応や、その後の知事たちと国務大臣の遣り取りを見ていると、よりコミュニティーに近い、分散型の政治・行政システムに移行していくのかもしれない、と思います。

話が横道にそれてしまったので、戻します。
「社会的距離の確保」
他のお客様との間隔をあけてください280×300
腕の長さ二人分間隔を空けることと、向かい合い(目を真っすぐ見ながら)話をしないこと、この2つを行動指針にすることは、私には、人間の社会を否定することと同義に感じられます。皆さんは、どう思われますか。

クラブ(私たちの世代では、ディスコ)で、熱気に熱気が乗数的に呼応しうねっていく、踊り、叫び、陶酔していく時間や、スタジアムで肩を組み、歌い、ゴールに喚起する、あの爆発的な歓喜を失うことができるのでしょうか。

人が集うことは人の必然だと、私は思っています。人は集うもの、だと。
変な言い方ですが、人間とは、飛沫を撒き散らしそれを浴びる生物、ではないでしょうか。

コロナウイルスとの闘いに勝って、風邪同様、またかかっちゃった、と殆ど気にせず生活できるようになるかもしれませんが、新しいウイルスは次から次へとやって来るらしいので、ウイルスとは共存していかなければならないようです。だとすると、「社会的距離の確保」が少なくとも間歇的に、ひょっとすると常態化した、人間社会の生活様式となることには耐えられないような気がします。

杉浦直樹のMONSTERの中で、ひどく印象に残った人の景色があります。テンマに助けられたある組織の大ボスが、エヴァと自宅の庭で食事をしている時「食卓だな」とポツリと言う一場面です。人生は「食卓」のためにあると。
そういえば、あの素敵な映画「バヴェットの晩餐会」も食卓の話でした。

2m間隔10人横一列の無言の食事、などまっぴらごめんです。
収穫祭の食卓 バーベキューの料理人たち
私たちは、リスクの中を生きています。リスクゼロに囚われ、フェースガード着用の日常に向けて一歩踏み出すことは避けたいと思います。
私たちは、見えない敵と「戦争」状態にある、と教えられています。政治家の扇動かもしれませんが、ひょっとすると、人類が種の存続を懸けた闘いが始まったのかもしれません。いずれにせよ、多くの人命が奪われるだろうことを告げられたのだと思います。

いまのところ戦略は、感染スピードを下げる=人と人との接触を減らす、こと。

相手の正体が分からず、治療薬という武器を持たない今「感染拡大のスピードが低下すると、強毒化ウイルスは宿主とともに消えてしまうので、結果として、感染力も致死性も低く潜伏期間が長い弱毒ウイルスが優位になる」(山本太郎長崎大学教授)ように時間を使うことが、唯一の選択肢なのだと思います。

人間社会は国境を閉じ、自国の居住者に行動変容を促し、それぞれの国がそれぞれの仕方で対処しています。

日本は、他者接触80%減を目標に置いています。家に閉じこもり(家の無い人はどうするのだろう)他人と会うな。外に出るなら、社会的距離を確保しろ。不要不急の外出をせず、それぞれが、それぞれの方法で対応していると思います。しかしながら、政治家や行政からは、現状、施策、行動指針の説明が為されないか不明瞭で、決定事項の決定理由や先行きの見通しが示されないために、多くの人が不安な日々を送っていることも事実だと思います。
お客様へのお願い トイレットペーパー一家族1点限り
欠品のお詫び‐小麦粉 買い物時間帯動向‐混雑緩和のお願い
また、PCR検査数が少なく実態を把握できていないまま、コロナウイルスに対する的確な医療体制の構築が出来ず、経済の危機も深化しているように思われます。

こうした状況下、個々人の置かれた状況や考え方の“それぞれ”がそれぞれであるが故に、摩擦や亀裂が生じています。排除や分断を局所的な現象として抑えられるのか。私たちは何をしたいのか、そのためにどうすべきか。

「未曽有の事態の今だからこそ、権威にひるまず、権力に盲従しない、真実一路の姿勢が全ての医療者に求められている」と島田真路山梨大学学長は言っています。状況を分析し、先入見を捨て見たままに事実を確認し、対処する。状況は変化するのだから、常に対処方法を見直し、修正する。誤りがあれば、上下を問わず正す。これは、私たち一般人にも当てはまることでしょう。

「真実一路の姿勢」私たち皆が生きるために。

闘いというのは、私たち自身との闘い、ではないでしょうか。