FC2ブログ
昨日8月29日、草刈りをしました。朝7時から3時間、体の消耗が激しかったので1時間木陰で休憩し、12時半まで用水路に垂れ下がった草を引き上げ、昼食休憩後、1時半から5時前まで、また草刈りをしました。
アブラゼミ 蛾と木陰で人休み
草刈りは、単純作業です。刈払機を右から左に動かし草を刈る、その動作の反復です。言うは易いのですが、体に負担を掛けないようにしながら機械を操ることは容易ではありません。また、地面ぎりぎりのところを綺麗に刈り取っていくことは、中々難しいものです。地面はでこぼこしていて、それに合わせて刃をスライドさせなくてはなりませんし、石があれば避けて草を刈らなければなりません。

「ここの草刈って」「水路に垂れ下がった草引き上げておいて」という指示の中には、指示者の技量と経験を基にした、所要時間と仕上がり、が想定として含まれています。

昨日のケースでは、草の引き上げと3時くらいまでの草刈りを午前中で終わらせることが、指示者の想定であったと思われます。作業能力が低いということもありますが、水路を塞ぐ恐れのある垂れた草の主だったもののみ引き上げ、時間を掛けず目的を達成すべきところを、小さなものも引き上げたり水路の中まで綺麗にしたりと余計なことをして、時間を浪費したようです。

管理は、時間との戦いです。

指示者の想定を逸脱する作業者の振る舞いは、スケジュールの遅延や作業のやり直し、費用の増大に結果します。

技量の差があると、作業過程や想定結果の共有は難しいものです。しかしながら、ビジョンの共有が図れなければ、仕事にならないのも事実です。

どうしたら、意に沿った仕事ができるかな?

帰路、アクセルを踏む右足がつりそうになりながら、答えの見えない問を問い続けました。
用水路のタニシ? 蛇の抜け殻
用水路では、貝が気持ちよさそうに水浴びをしていました。蛇は脱皮して、多分近くにいたのでしょう。草刈り一つに齷齪している人間様の直ぐ傍で、それぞれの時間が流れているようです。
スポンサーサイト



昨日8月21日、ゴマの葉落しをしました。ゴマの頭を掴んで、葉をむしっていく作業です。

暑かったですね。12時に午前の仕事を終え車に戻ったら、温度計は42℃を表示していました。9時10分前後に作業を始め10半頃水分補給をしてから12時まで、炎天下の3時間を汗だくで過ごしました。昼は食欲がなく、キウイ1個と用意したマフィン2つのうち一つだけ無理に食べ、ポカリ1ℓと野菜ジュース200mlと白湯コップ2杯、水ものばかりの食事でした。
葉落し前のゴマ 葉落しをしてボウズになったゴマ
葉落しする前のゴマ畑 刈り取りした後のゴマ畑
午後は、刈り取ったゴマを4本ずつ束ね3本の縄で縛る作業を13時半から17時半まで行いました。18時過ぎに家路に着き、20時に帰宅。夜には食欲が戻り、残したマフィンとお茶碗一杯のご飯を食べ、湯につかり直ぐ寝ました。
軽トラに積んで運んだゴマ 4本ずつ、ゴマを3本縛りしました
ゴマは、3か月ほどで実がなります。短期間で収穫できますが、収穫後、乾燥させ実を取り出し、洗い、干すという作業が続きます。その実を綺麗な食品として仕上げるためには、結構な手間が掛かるのです。更に、手蒔き、手刈りとなれば「相も変らぬ昔ながらの労働集約か。時代遅れ。効率ってこと、分からないのかな」と嘲笑する向きもあるかもしれません。

工場生産品に慣れ親しんで来た私たちは、材料を投入してから製品とし、それを購入して消費する、そのサイクルの最適化を考えます。そこでは、過大なマーケティング・コストは必要条件とされますが、食品ロスや農産物の廃棄を何故か考慮しません。いつでも欲しい野菜を欲しい時に手に入れる、という都市生活者の欲求を満たすことが絶対的な前提となっていて、「えっ!無いの。今晩必要なのに」と言わせないように、需要<供給、であることが現代社会において常に求められているように思われます。

資源効率の最適化を考えるなら、生産された物全てが消費されることを前提とは言わないまでも、少なくとも目標とするべきでしょう。だとすると、欲望を無暗に刺激するけれど売り上げは保証しない、お金の掛かるマーケティングの蓋然性から離れ、必要としての消費から生産を組み立てた方が良いように思われます。

更に、消費者が労働力を提供し、必要なだけの収穫物を対価として受け取り、自ら持ち帰ることで配送コストを負担すれば、効率的と呼べる生産・消費システムとはならないでしょうか。

日本の農業は生産効率が低く、世界と競合できる状況にはありません。政府は、区画整理による単位面積の拡大と大規模化、その受け手としての企業あるいは共同体への参入促進を図り、家業としての農業から近代的な産業としての農業への転換により、競争力を高めていこうとしていますが、飛行機で農業する規模に対抗できるとは思えません。

切り取られた一つ一つの作業「効率」を問うのでは無く、環境・資源を考慮した上で私たちが望む生活の在り様につきよく考え、私たちのより良き未来を実現するために必要とされる「効率」的な方法論を議論し、構築していくことが、今、求められているように思います。

炎天下、わざわざ熱中症のリスクを冒す馬鹿者と蔑まれる汗だくの労働も、代謝を上げ、ストレスを発散し、報酬としてゴマを幾らか貰える一方で、心ある農産物生産者の援けとなるとなれば、悪くは無いかもしれません。
畑近くの神社の鳥居 神社の木陰
昼、神社の木陰で少しばかり、休息を取りました。木陰を柔らかな風が流れ、とても心地よかったです。
東洋一と称せられた浦上天主堂跡は撤去され、教会は再建されています。
あるべきものが、あるべき場所にない、ように感じます。

以下、参照:
<長崎にあった「幻の原爆ドーム」は何故撤去されてしまったのか>
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/nagasaki-urakami
<長崎原爆と浦上天主堂(Google Arts & Culture)>
https://artsandculture.google.com/exhibit/QRfpvy4V?hl=ja
丘 80% クリスチャン 80%

“HIROSHIMA”ではありませんが最近小田実の本を読んだので、小田実風なタイトルにして、8月6日、広島の日のブログタイトルとしました。

切明千枝子さんという方が、いらっしゃいます。広島に生まれ、被爆され、その被爆体験を語られている一方で、広島の旧被服支廠4棟全棟の保存を求める運動をなされている方です(広島県は、地震による倒壊の恐れを理由に1号棟の外観保存と2、3号棟の解体を表明している。4号棟は国の所有:朝日新聞「被爆建築 軍都の証人」より)。その方への取材記事が、8月4日付朝日新聞朝刊に掲載されました。

その記事を読んで、恥ずかしながら初めて気付いたことがあります。それは、広島は被害者であり同時に加害者でもあった、ということです。

「広島は三角州の上で、ちょっと掘りゃ塩水が出て、作物が豊かに実るわけでもない。戦争のおかげで大きくなった街なんです。日清戦争の時なんか、大本営が広島に来たんですから」
「被服支廠は、太平洋戦争に至るまでの日本の軍国主義のシンボル。広島が軍都だったこと、原爆被害を受ける前は加害の地であったことの証明です」
「そんな歴史も知らず、『原爆にやられたかわいそうな被爆地でござい』って平和を叫んでも、空しいものがある」

小田実は、大阪で空襲を体験しています。氏の基本的視座である「される」側に立て、の原点です。それは「午後2時だというのに黒煙が覆って真っ暗です・・・この黒煙の中にいた。私はここで地獄を体験した」ことであると同時に「ニュース映画で日本の爆撃機が中国大陸に爆弾を落としているシーンを何度も見ています。そのときには、黒煙のなかで中国人がどうしているか、一遍も考えたことはなかった。上から見たらきれいなシーンですし、誇るべき皇軍の戦果です。そして、なかは地獄です」と「被害者」でると同時に「加害者」でもあった自分を認識することから始まります。「『される側』に立たなければわからない」と(「生きる術としての哲学」P50より)。

爆弾を落とす側と落とされる側のそれぞれが絶対的な立ち位置では無く、落とされる側が落とす側に、落とす側が落とされる側に、容易に転換する怖さがここにはあると思います。

切明千枝子さんの言う、広島の二重性、は極めて重い指摘だと思います。加害を自覚する、あるいは容易に加害者となりうるその危うさを意識した上でなければ、「平和」と誰もが簡単に口にする得難い場所に向かって、先に進むことは出来ないということなのでしょう。
忍城  忍城 鉄砲窓
忍城 鉄砲窓城内から掘を見る 忍城 鐘楼
先日、忍城に行ってきました。上杉がどうの成田がどうの石田がどうの、どうでもよいことを思いながらのんびりと歩きました。鉄砲窓の先には鎧を纏った戦士は無く、白い雲が青い空に長閑に浮かんでいました。戦国ロマンに浸りはしませんでしたが、460年前や430年前に、正にここにあった生死を掛けた緊張を感じることはなく、戦争について深く考えるにはあまりにも長閑でした。