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先日、男二人、指編みをしながら、こんな議論をしました。

「人類は地球を代表して、エイリアンと話をする権利があるだろうか」
「ないだろう。アリさんのことを考えながら、話はできそうにないから」
「そうだね。知的生命体とか言って、自分たちだけが特殊な生物だと威張っているけど、他の生物や植物その他の環境とコミュニケーションできないものに、全てを代表する権利はありそうにない」
「エイリアンがコミュニケーションを一切取らなかったら、どうだろう」
「“知的生命体は知的生命体とコミュニケーションを取るものだ”を前提に考えることは、ひょっとすると大きな間違い、的外れな思い込みかもしれないね」

大人の真面目な議論とはとても思えない意味不明な会話ですが、コミュニケーションをコミュニケーションとディス・コミュニケーションの対比で考えていた私にとって、コミュニケーションの不在という考え方は、とても新鮮でした。

コミュニケーション以前。共同幻想の成り立たない、無の世界。それは、どんなものだろう。家族や絆、倫理や宗教といった事柄を考える上で、とても重要な視点ではないかと思いました。

そもそも、繋がらなくてもいいんじゃないか。
只々、こんがらがっているだけなんじゃないか。

1月20日は、えびす講。人と神とが、繋がる日でしょうか
農家では、赤飯を炊き、お頭付の魚を供え、五穀豊穣を祈ります
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