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学生の頃の一時期、祖母とお茶を飲みながら水戸黄門を見る日々を送っていたことがあります。

祖母は毎日楽しいのだろうか。私は、一体何をしているのだろう。いつか祖母と同じように、年老いてぼんやりテレビを見て日々を過ごし、死んでいくのだろうか。

私たちの感性は、心身ともに健康で、みずみずしく、生産する力に溢れていることが好いと教えています。何事も生まないでいることは悪だと。

でも、本当にそうなのでしょうか。

私たちは、存在を生産性で量り、時間の経過を累進性で捉えることに慣れ過ぎていて、大事な何かを見落としてはいないでしょうか。

人生は、物語だと思います。それは、

  幼(未)→成(善美)→老(醜悪)

そしてフェイドアウトしていくリニアなものではないように思います。

勝ち負けや優劣といった価値基準で貶めるものでもなく、一つの物語として輝くものであり、それぞれの時、様々な仕方で充足しているものだと思います。

祖母と孫が一緒にテレビを見ていた。ただそれだけのことが、それ故にひどく心を満たしてくれるように今では感じています。
090412_胡桃と小魚+バカラ
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コメント

高校生の頃、母が繕い物やら何やらしている傍で、こたつに入って小説(まがいのもの)を書いていた時間のことを思い出します。
あれは満ち足りた、幸せな時間だったと思います。その時その場で幸福を感じていたわけではないのですが。

存在と時間と言えばハイデガーですが、「時熟」という言葉が特に気になります。明確な概念としてとらえてはいませんが、響きがいい感じなので。

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