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気仙沼に、はまらいんや踊りを踊りに行ってきました。

今回で9度目となりますが、初めて遊びに行きました。私の気仙沼は、何かを誰かのためにする場所から、自分が何気なく居られる場所へと、変わったような気がします。

3年前、私は東北に行かなければならないと思いました。今後の日本を考える上で、決定的に重要だと思ったのです。しかしながら、私には、殆ど東北との繋がりはありませんでした。妙に切羽詰った、焦燥感を抱いて、炎天下、気仙沼の街を歩いていたように記憶しています。

その時おひさまの里見理事長との出会いがありましたが、求めるものを何一つ提供出来ず、悶々として東京に戻りました。その後3カ月、罹災された方々への奉仕を東京で行っているうちに、Tシャツ作りのワークショップをしている若者たちと知り合って「これだな」と思い、秋におひさまで、Tシャツ作りのワークショップを行いました。ここから、気仙沼おひさまとのお付き合いが始まりました。

翌年3月に、子供たちの描いたTシャツデザインを本に大人向けのTシャツを作り、おひさまに届けに行った際「ブログ書いたら」と理事長に言われ、写メを送って貰いこれにコメントを添える形で、おひさまブログを書くようになりました。最初は“私の”ブログとなっていましたが、暫くして“おひさまの”ブログでなくてはいけないと思うようになり、先生の書いたメールの文章をなるべく変えずに、掲載するようにしました。

実は、気仙沼に行き始めてからずっと「私は何をしているのだろう」と自問していました。自己満足、自己顕示、打算。下心。私がしたいことをしているだけではないかと。

求められることをする。求められなくなったら、自分がいくら続けたくても止める。そんな当たり前のことに気付いたとき、吹っ切れました。止めろと言われるまで、やろう。そう思うようになってから、肩の力が抜けました。恐らく、おひさまブログを書くという気仙沼の子供たちや先生方とシンクロした日常が、私を安定させたのだと思います。


少しだけ、街を歩いてみました。

焼けた鹿折、泥搔きをした内ノ脇では、土盛が行われていました。あの陸に上がった船は跡形もなく片づけられ、電車の駅も無くなっていました
地上げ 土盛
船のあった場所 内ノ脇
あまり変わっていない港付近と放置されたグランドゼロ
港付近 グランドゼロ
気仙沼みなとまつり。祭りは人を集め、膨大なエネルギーを放出し続けます。千葉の柏から元気なおばさんたちが来て、はまらいんや踊りを踊っていました
太鼓をたたく中学生 柏から来た元気なおばさんたち
南郷の小学校の跡地には集合住宅が建設中で、最知北のスーパーの跡地には温泉パチンコ屋が出来ていました
小学校跡に建てられている住宅 スーパー跡地の出来た温泉パチンコ屋
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