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友人より「見に行くべきだ。行けば、分かる」とかねてより言われていた、石巻市立大川小学校に行ってきました。

校章 献花
屋根の曲がった校舎 メインの校舎

「なぜすぐに裏山に避難しなかったのか」

理由は、一目で分かります。裏山とだけ聞けば、誰でも簡単に登れそうな小山を想像しますが、大川小学校の裏山は崖に近い急斜面で、木立の中に道はなく、大人でも簡単に登れるような場所ではありませんでした。所によっては緩やかな傾斜地があり、そこを登ればよかったのにとの意見があるようです(この点については、未確認です。再訪し、自分で検証する必要があると思っています)が、「市の『防災ガイド・ハザードマップ』は、同小を避難所として『利用可』としている。柏葉校長は『堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった』と明かす」(2011年4月19日付毎日新聞)とあり、堤防を越える津波が想定外で、「『山へ逃げるか』『この揺れでは木が倒れるので駄目だ』『山は崩れないのか』」(2011年6月13日付読売新聞)との議論より推測されるように、避難場所として活用されるための裏山ではなかったのです。

<左>直ぐ傍の橋と同じ高さの土手から左に小学校、右に裏山を見る
校舎全景と裏山 裏山 校庭から見る
<右>校庭より裏山を見る

「天災ではなく、人災だ」

地震から避難までの40分を議論に空費したことを指すのであれば、それは当事者に酷だと思います。より安全で容易に行ける避難場所が、用意されていなかったからです。「何が起きているのか把握できず、何をすべきか分からない」時、私たちはどうすべきか、結果を知っていれば簡単なことでも、その場で判断を下すことは容易でないと思います。また、既定でないその場の判断に従い動くことで、別のリスクが発生します。「そんなことしなければ」と非難されることに立ち向かう覚悟が、必要となります。

こんなに水量の多い川の堤防の直ぐ下に学校を作るのか?と感じましたが、高い堤防を築くことで自然に対処できるとする「私たちの日常」が、それを是としてきたことに思い当たりました。私たち皆が高を括ってきたという意味で、「人災」だと言えるのではないでしょうか。

<左>石巻市中心部より大川小学校に向かう土手から小学校の直ぐ傍の橋を望む
水量豊富な北上川と大川小学校傍の橋 対岸から見る堤防越しの校舎
<右>大川小学校の向こう岸より堤防の先に小学校を見る

「想定外」を非日常として視野の外に置くか、日常に対する疑問として日々意識し、イザに直面した際、不測に対して柔軟に対処し生き抜く対応力を養うか、どっちにする?と問われているように思いました。
湾曲した柱 壊れた校舎
慰霊碑に向かい手を合わせ「命を懸けて残された全てを私たちが引き継ぎ、よりよい社会を作っていきます」と祈り、誓いました。

校庭には、うつむき加減の賢治が描かれた、卒業制作の壁画が残されていました
賢治の壁画 賢治の壁画と壊れた校舎
賢治の言葉「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」とともに

ご参考:「大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻」
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
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