FC2ブログ
この一月、ずっと平和について考えていました。

難しくて結論は出ませんでしたが、纏まっていなくても的外れでも、現時点で考えたことを記しておいた方がよいと思い、書いてみました。

先のブログ「戦争とは何か」で、平和とは「万人の自由を保障し、幸福を追求できる環境」と述べましたが、今は状態や状況と考えるより、人が直接働きかけていく能動的なものと考えた方が良いように思っています。平和は人々の目指すところであると同時に、求め実現しようとするプロセス自体に本質があるように思うからです。

この神かあの神か、とか、偶像を認めるか認めないか、とか、豚肉を食べるか食べないか、とか、肌の色が白か黒か黄色か等、シェアできないこと、感覚的に受け入れられなかったり、脅威に感じたり、理解不能だったり、理解できても好きになれなかったり、考え方としては否定できないけれど別の意見が正しい、あるいは相応しいと思っているため賛同できなかったりすることが、たくさんあります。

こうしたシェアできないことを、排除せずオープンにしておく技術。オープンにしておく意志と努力。自己の正義に反する事、物、者を、全く別のしかし前提を変えれば論理的に帰結する可能な価値として保留にする精神のマネジメント。平和とは、交わらない価値から生じる脅威と嫌悪をこうした技術を共有することにより最小化し、皆で創っていくものではないかと考えてみました。

変な言い方に聞こえるかもしれませんが、絆を敢て持とうとしない、一緒に居ながら、拘わらないことで互いを尊重し合うあるいは距離を置くことで互いの価値を保全し、共存していくこと。自分たちの基準に照らすと間違っていること、自分たちの正義に反することについて、“何故そうなるのか”を考え、他者を自分たちに同化させず、他者に自分たちが同化されず、他者を永遠に異なった他者として受け入れていくような世界を平和な世界と呼べないか、そんな風に考えてみました。


畑は、遊牧民が忌み嫌う「母なる大地を傷つける」場所です。人の勝手な都合で行われる食糧生産の場ですが、雨が降り日が差す大地は人の好き勝手にはさせてくれません。
タカキビ 夏の終わり ササゲ 夏の終わり
他者と折り合いを付け乍ら、自分たちの価値を求め実現するために主体的に生きていくヒントが、ここにあるように思います。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://harukazenowarai.blog90.fc2.com/tb.php/362-8a9ca902