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畑仕事をしていると、いろいろなことを考えます。

草刈りをしていて思いました「これは、殺生ではないのか」と。強い日差しに干からびていく草を見て、何か切なくなりました。生き物の内で、動物を植物に優先させる論理はあるのか。猿は人間に似ているとか、イルカは古代より人間の友だとか、猫はカワイイとか、気持ちは分からないでもないのですが、それで本当にいいのかなと思ってしまいます。蜂蜜は好きだけど、ハチは刺すから嫌だとか。全て人の都合で、自然自らの論理では無いように思われます。
菜の花とミツバチ 菜の花とミツバチの御尻
畑をトラクターで耕していると、ネズミやカエルが跳び出してきて、何か自分が悪いことをしているような気になります。ムクドリやカラスが直ぐ近くまでやって来て、こちらにはお構いなしに悠然と餌を啄んだりしていると「一緒に生きてるじゃん」などと、ちょっと嬉しくなったりもします。私個人の単なる思い込みです。
トラクターに近づくカラス
人間中心主義を止めなくてはいけないのではないか。少なくとも一旦人を離れて、人を単なる一要素として、環境というものを考えてみたいと思うようになりました。そこから、改めて人に戻ってくると、何かとても大事なことが理解できるのではないかと。

人間は森林を破壊し土を耕し農地とし、1年というサイクルで繰り返されるパターンを探り、好みと必要(食料の確保=収量増/気候への適応)から、品種を改良し、自然を人間の世界に取り込む努力を重ねてきました。農業という営みは、徹頭徹尾、人間中心主義です。それは人智の成果である一方、自分たちの都合で自然を切り取り、私たちが感知し理解し得る範囲で上手く行っているように見えるに過ぎないのではないか、という疑問を生じさせます。

野菜、果樹、そして人間のタイムスケールは、地球や宇宙のタイムスケールと同期しません。人智を超えたものがあることを素直に認め、自然を支配しようとせず、耳を傾け肌で感じ、畏怖の念を持ちながら自然と共に在ろうとする心性を育むことがとても大事なように思います。

「自然とは、人間原理を超えて現象しているもの」と写真家、畠山直哉は言っています(「出来事と写真」赤々舎)。

「人間は、人間を超えた何か大きなものがないと生きていくときに元気が出ない」とも言っています。
小麦畑のテントウムシ 小麦_HP名刺使用写真
この言葉、いいなと思いました。
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