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昨晩、奇妙な夢を見ました。

子供のころ住んでいた家の物干しに続く夜の廊下に、シカが何体か倒れているのです。もう長くない、明日朝には死んでいるだろう。死骸を見たくないな、と思いつつ眺めている自分がそこにありました。

明日朝、自分の視界から消えていて欲しいと願うなんて、身勝手だな。自分に都合の悪いものは排除しようとする、憎むべき習性だ。夢を見ながら思いました。

「他者の都合を引き受ける」

人の目の前に勝手に倒れ死んでいく奴の面倒なんかみてられるかと思いつつ、何故かそんな言葉が頭に浮かびました。そして「共生」について、考えはじめました。

他者の都合から物事を眺める、習慣付け。そんなことが必要なのだろうと。

自分の感情を害するもの、自分の存在を危うくするかもしれないものに対して、嫌悪の情を感じたり敵意を持ちながらも、共に環境を構成する必要な存在として受け入れる。時に他者が起こした問題を自分のこととして処理し、時に距離を置き暴発を避け、時に厄介な他者を忘れ、好きにさせる。兎に角、自分の都合はいったん保留にし、先ずは他者を優先させる。そんな心構えです。

害獣、害虫、雑草。益獣、益虫、作物。全てヒトの都合です。今ある自然がパーフェクトなら、彼らはそこにあるべき存在で、ヒトがとやかく言うべき筋合いはありません。ヒトは、圧倒的な暴力を振るい、自分の都合で多くの種を絶滅させ、その反動で特定の種を過増殖させたりしてきました。その時は良かったかもしれませんが、結局自分に返ってくる、愚かな所業だと思います。
黄色い虫 田んぼのアマガエル
田んぼのバッタ 青い虫
田畑で作業をしていると、好きになれるもの、なれないもの、存在を否定したいもの、私の体を害するもの、様々なものと出会います。自然を尊重し共生を必然とするなら、あらゆるものと折り合いをつけなくてはならないのでしょう。しかし、血を吸われたり、噛まれて病気になったりして、笑って許すほどの器量を、私は持ち合わせていません。せっかく育てた作物が虫害で全滅したら、死ぬまでその虫を呪うことでしょう。

言うは易く行うは難し。

実際に多様なものたちと共生することは、極めて難しいことだと思います。多様性ということには、恐らくリスクが含意されているからです。

排除の思想を捨てなくては、スタートラインにも立てません。

出来るのかな。
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