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お彼岸に母と墓参りした後、家内と映画を見ました。

韓国映画、コクソン(哭声)です。楽しい映画ではありませんが、もう一度見たいなと思いました。善か悪か、敵か味方か、身内か余所者か、という二元論的情緒に振り回され、良きことを行っている積りで破滅に走る人間の性を、その根源にあるものとして人を超えた何ものかの存在に触れながら、描き出しています。一見過暴力で血塗られた映像ですが、深く人を包み込むような、そんな作品でした。

監督は「韓国に住む韓国人として感じている、社会全般のあまりよくない雰囲気を包括的に込めた映画を作りたいという思いで脚本を書きはじめました」「この映画のテーマは“混沌、混乱、疑惑”です」と言っています。信じることの難しさ、信じる、ということに含まれる様々な問題、何故に信じるか、論拠は明確か、それは正しいことなのか、では、その正しさは誰にとっての正しさか、等々について、考えさせられます。

その晩、父が入院したと母から電話がありました。お昼前、ぜーヒューぜーヒューと変な息をしていたので、大丈夫かと父に声を掛け、母には医者に診せるようにと言って帰った半日後のことです。

翌朝から、父母の家で寝起きしています。

医者からは、心不全で、肺に鬱血があり、水が溜まっている。不整脈による脳梗塞の可能性もあり、血栓症を防ぐ必要があるが、腎臓も弱っているので、処方すべき薬が出せない。入院して生活を管理し、先ずは、心不全の症状を改善することにする、と言われました。

心臓が悪いことは分かっていましたが、腎臓も悪いとは。言葉にしないけど相当きついのだろうな、と思いました。

コクソンは、父が娘を全身全霊をもって守ろうとし、失敗した話でもあります。私は父に何をしているのか、何もしていない。子供に何をしているか、多少しているかな。多くの時間、自分一人にために生きているような気がして、何だか後ろめたいように思いました。

家族とは、血の繋がりなのか。努力の積み重ねが、育むものなのか。
何故、墓参りをするのだろう。
ご先祖様とは、何なのか。家族なのか。霊的な繋がりがあるのだろうか。

疲れた魂は、他者と出会うささやかな日常に癒され誠実な魂は、自らを律し他者との距離感を整え日常を構築していく。生きるということは、様々な繋がりの中でもがくことなのだ、と思いました。

母のレシピで、昆布とゴボウを入れて煮豆を作りました。
煮豆 全体 菜の花のおひたし
春の味覚、菜の花をおひたしにして、母と食べました。タラの芽とフキノトウを天麩羅に揚げたら、喜んでくれました。
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