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さぼり癖がついて、ブログを暫く休んでしまいました。

農作業に定期的に出なくなったことが、主な理由です。事業として成り立たせることに手間取っているところへ仕事のオファーをいただき、悩んだ末、オファーを受け、健常な生活者となるべく努力をすることにしました。小麦とジャガイモの収穫までは畑に責任があるため、新しい仕事の準備を始めつつ農作業をフィードアウトしています。そのため作業頻度が減り、ブログを書くモチベーションが落ち、5月に入って一つもアップしませんでした。

今後どのようなブログを書いていくのか、思案中です。

今月、畑には、3度ほど行きました。ジャガイモの様子見と草刈り、そして土壌改善のために大豆を植える準備です。前のめりになっていた姿勢を少し正し、「俺が俺が」では無く「あなたちょっとやってくれる?」と聞かれて出来ることをやる、みたいな受け身ではあるけれど主体性が無いと続かない「必要とされること」を細々と継続していきたいと思っています。
ジャガイモの花 ジャガイモ畑20170516
昨日は、草刈機を操作しているときとトラクタに乗っているとき、畑の所有者の方と二度、目が合いました。ニコッとされたように思い、それをとても嬉しく感じました。嫌われては、いない。続けられる、続けよう。草には気の毒だが、刈るとすっきりとする。私だけでなく、ここに住む多くの人たちも同じ思いなのだ。そういえば、近所の方が車の運転席からこちらを向き、挨拶していた。草を刈り、畑を耕す人がいることは、誰かがしなくてはいけない、皆の必要なのだ。出来る限り、ここに来よう。そう、思いました。

耕運20170516大豆の準備 未だ小さいジャガイモ
ここ数年、必要、という言葉に拘ってきました。「やりたいことをやる」と言われると利己的な感じがして、そうなのかな、と思いますが「必要とされることをする」と言われると、そうだよね、と相槌を打ちたくなります。

生きることに目的があると日々が充実してくるように思われますが、その目的が自分を含めた誰かの「必要」であると、それは素晴らしいことであるように思います。

農業を産業の一つというより、ヒトが生きていくために必要不可欠なこと、として捉え、地球環境の問題として再定義しつつ、経済性を具備した私たちの生活の方法論として提示したいと、大上段に構えてじたばたしていました。先日、湯浅誠さんの憲法に関するお話を伺い、一国の主権者であることを意識し生活することの重要性について考えさせられたとき、思いました。農業、農業と血眼になる必要は、無い。年に何回か畑に出て、草を刈る。それでいい。出来ることを、しかし必ず、やる。それが大事なことだ、と。

畑に行って、ちょっと体を動かして、誰かのために草を刈る。それをルーティンにする。

難しく考えず、ことを難しくせず、自分の時間をちょっとだけ削って、誰かのために手足を動かすだけでいい。自分のためであるかもしれないが、誰かのために必要なことを行うと、きっと日常のクオリティが高くなる。そうしよう。

自分一人のためで無い時間をちょっとだけ作るとき、私たちの小さな日常が素敵に輝くように思います。
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