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“HIROSHIMA”ではありませんが最近小田実の本を読んだので、小田実風なタイトルにして、8月6日、広島の日のブログタイトルとしました。

切明千枝子さんという方が、いらっしゃいます。広島に生まれ、被爆され、その被爆体験を語られている一方で、広島の旧被服支廠4棟全棟の保存を求める運動をなされている方です(広島県は、地震による倒壊の恐れを理由に1号棟の外観保存と2、3号棟の解体を表明している。4号棟は国の所有:朝日新聞「被爆建築 軍都の証人」より)。その方への取材記事が、8月4日付朝日新聞朝刊に掲載されました。

その記事を読んで、恥ずかしながら初めて気付いたことがあります。それは、広島は被害者であり同時に加害者でもあった、ということです。

「広島は三角州の上で、ちょっと掘りゃ塩水が出て、作物が豊かに実るわけでもない。戦争のおかげで大きくなった街なんです。日清戦争の時なんか、大本営が広島に来たんですから」
「被服支廠は、太平洋戦争に至るまでの日本の軍国主義のシンボル。広島が軍都だったこと、原爆被害を受ける前は加害の地であったことの証明です」
「そんな歴史も知らず、『原爆にやられたかわいそうな被爆地でござい』って平和を叫んでも、空しいものがある」

小田実は、大阪で空襲を体験しています。氏の基本的視座である「される」側に立て、の原点です。それは「午後2時だというのに黒煙が覆って真っ暗です・・・この黒煙の中にいた。私はここで地獄を体験した」ことであると同時に「ニュース映画で日本の爆撃機が中国大陸に爆弾を落としているシーンを何度も見ています。そのときには、黒煙のなかで中国人がどうしているか、一遍も考えたことはなかった。上から見たらきれいなシーンですし、誇るべき皇軍の戦果です。そして、なかは地獄です」と「被害者」でると同時に「加害者」でもあった自分を認識することから始まります。「『される側』に立たなければわからない」と(「生きる術としての哲学」P50より)。

爆弾を落とす側と落とされる側のそれぞれが絶対的な立ち位置では無く、落とされる側が落とす側に、落とす側が落とされる側に、容易に転換する怖さがここにはあると思います。

切明千枝子さんの言う、広島の二重性、は極めて重い指摘だと思います。加害を自覚する、あるいは容易に加害者となりうるその危うさを意識した上でなければ、「平和」と誰もが簡単に口にする得難い場所に向かって、先に進むことは出来ないということなのでしょう。
忍城  忍城 鉄砲窓
忍城 鉄砲窓城内から掘を見る 忍城 鐘楼
先日、忍城に行ってきました。上杉がどうの成田がどうの石田がどうの、どうでもよいことを思いながらのんびりと歩きました。鉄砲窓の先には鎧を纏った戦士は無く、白い雲が青い空に長閑に浮かんでいました。戦国ロマンに浸りはしませんでしたが、460年前や430年前に、正にここにあった生死を掛けた緊張を感じることはなく、戦争について深く考えるにはあまりにも長閑でした。
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