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社会的距離“social distancing”という言葉を聞くようになり、凄く嫌な言葉だな、と思っていました。

米国疾病予防管理センター(CDC : Centers for Disease Control and Prevention)によると、自宅から外に出た場合、以下のことをしないことだそうです:
 ・6feet≒1.8メートル(だいたい二人分の腕の長さ)他者と間隔を取る
 ・集団行動をしない
 ・混雑した場所を避ける
身体的距離“physical distancing”とも言う、と書かれています。
世界保健機関(WHO : World Health Organization)は、身体的距離(physical distancing)のみ使用していて「少なくとも1メートル(3feet)空ける」ように推奨しています。

日本ではつい最近、“新しい生活様式“なるものが厚生労働省HPに公表されました。
そこに、「身体的距離の確保」が感染防止の3つの基本の一つとして挙げられ、以下のことが書かれています:
「人との間隔は、できるだけ2m(最低1m)空ける」
「会話をする際は、可能な限り真正面を避ける」
更に、食事は「対面でなく横並び」で「料理に集中、おしゃべりは控えめに」とあります。

“新しい生活様式“が、今より後社会はそうあるべきだ、あるいは、日本国居住者はそうしなければいけない、なのか、日本国民であればそうしろ、というのか、何を意味するのか分かりませんが、通勤通学電車内では先ず実現不可能なこと、なのは分かります。

何故、現状不可能なことを“生活様式“として、敢えて公表するのでしょうか。
満員電車を本気で無くそうと思っているのでしょうか。それは無いでしょうね。

国との距離感がありすぎて、どうにもならない気がしています。国とコミュニケーションが取れない。
自由な市民社会においては、“生活様式“は個々人が探し求め、生活の中で作っていくものだと思いますが、如何でしょうか。

仁坂和歌山県知事や鈴木北海道知事の果断、迅速な対応や、その後の知事たちと国務大臣の遣り取りを見ていると、よりコミュニティーに近い、分散型の政治・行政システムに移行していくのかもしれない、と思います。

話が横道にそれてしまったので、戻します。
「社会的距離の確保」
他のお客様との間隔をあけてください280×300
腕の長さ二人分間隔を空けることと、向かい合い(目を真っすぐ見ながら)話をしないこと、この2つを行動指針にすることは、私には、人間の社会を否定することと同義に感じられます。皆さんは、どう思われますか。

クラブ(私たちの世代では、ディスコ)で、熱気に熱気が乗数的に呼応しうねっていく、踊り、叫び、陶酔していく時間や、スタジアムで肩を組み、歌い、ゴールに喚起する、あの爆発的な歓喜を失うことができるのでしょうか。

人が集うことは人の必然だと、私は思っています。人は集うもの、だと。
変な言い方ですが、人間とは、飛沫を撒き散らしそれを浴びる生物、ではないでしょうか。

コロナウイルスとの闘いに勝って、風邪同様、またかかっちゃった、と殆ど気にせず生活できるようになるかもしれませんが、新しいウイルスは次から次へとやって来るらしいので、ウイルスとは共存していかなければならないようです。だとすると、「社会的距離の確保」が少なくとも間歇的に、ひょっとすると常態化した、人間社会の生活様式となることには耐えられないような気がします。

杉浦直樹のMONSTERの中で、ひどく印象に残った人の景色があります。テンマに助けられたある組織の大ボスが、エヴァと自宅の庭で食事をしている時「食卓だな」とポツリと言う一場面です。人生は「食卓」のためにあると。
そういえば、あの素敵な映画「バヴェットの晩餐会」も食卓の話でした。

2m間隔10人横一列の無言の食事、などまっぴらごめんです。
収穫祭の食卓 バーベキューの料理人たち
私たちは、リスクの中を生きています。リスクゼロに囚われ、フェースガード着用の日常に向けて一歩踏み出すことは避けたいと思います。
私たちは、見えない敵と「戦争」状態にある、と教えられています。政治家の扇動かもしれませんが、ひょっとすると、人類が種の存続を懸けた闘いが始まったのかもしれません。いずれにせよ、多くの人命が奪われるだろうことを告げられたのだと思います。

いまのところ戦略は、感染スピードを下げる=人と人との接触を減らす、こと。

相手の正体が分からず、治療薬という武器を持たない今「感染拡大のスピードが低下すると、強毒化ウイルスは宿主とともに消えてしまうので、結果として、感染力も致死性も低く潜伏期間が長い弱毒ウイルスが優位になる」(山本太郎長崎大学教授)ように時間を使うことが、唯一の選択肢なのだと思います。

人間社会は国境を閉じ、自国の居住者に行動変容を促し、それぞれの国がそれぞれの仕方で対処しています。

日本は、他者接触80%減を目標に置いています。家に閉じこもり(家の無い人はどうするのだろう)他人と会うな。外に出るなら、社会的距離を確保しろ。不要不急の外出をせず、それぞれが、それぞれの方法で対応していると思います。しかしながら、政治家や行政からは、現状、施策、行動指針の説明が為されないか不明瞭で、決定事項の決定理由や先行きの見通しが示されないために、多くの人が不安な日々を送っていることも事実だと思います。
お客様へのお願い トイレットペーパー一家族1点限り
欠品のお詫び‐小麦粉 買い物時間帯動向‐混雑緩和のお願い
また、PCR検査数が少なく実態を把握できていないまま、コロナウイルスに対する的確な医療体制の構築が出来ず、経済の危機も深化しているように思われます。

こうした状況下、個々人の置かれた状況や考え方の“それぞれ”がそれぞれであるが故に、摩擦や亀裂が生じています。排除や分断を局所的な現象として抑えられるのか。私たちは何をしたいのか、そのためにどうすべきか。

「未曽有の事態の今だからこそ、権威にひるまず、権力に盲従しない、真実一路の姿勢が全ての医療者に求められている」と島田真路山梨大学学長は言っています。状況を分析し、先入見を捨て見たままに事実を確認し、対処する。状況は変化するのだから、常に対処方法を見直し、修正する。誤りがあれば、上下を問わず正す。これは、私たち一般人にも当てはまることでしょう。

「真実一路の姿勢」私たち皆が生きるために。

闘いというのは、私たち自身との闘い、ではないでしょうか。
人間は、闘いが好きなようです。

理由は、何でしょう。
二元論が好きだから、かもしれません。分かりやすく、安心を得られるから。

味方か敵か。家族か赤の他人か。友か“ ”か(友の対義語は、何だろう。分からない。友軍なら、敵軍だろう)。同国人か異国人か。同宗教者か異邦人か。そして、善か悪か。

線を引いて、あっちとこっちを区別することで初めて自分が認識でき、カオスから逃れられる。あるいは線で囲んで内に籠り、中の誰かと手を繋いでいれば恐怖は半減し、そのうちに数に煽られ増幅する敵意と敵対行為が不安の居場所を無くし、落ち着くことができるようになる。そんな感じでしょうか。

私たちは、コロナウイルスと闘っているのだ。
コロナウイルスは、絶滅すべき憎っくき敵、だ。

本当にそうなんでしょうか。

春。心地よいですね。
西大宮のオレンジの花20200430 西大宮の赤い花青い花20200430
家に籠っていますが、時折散歩することが推奨されていますので、日に一度近所を歩いています。
西大宮のゴールデンの花20200430 西大宮の白い種の真綿と春の空20200430
人の喧騒を離れ、自然はいつもと変わらぬ日々を過ごしているようです。

生物学者、福岡伸一さんは、コロナウイルスは一方的に襲撃してくるのではないと言っています。ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質にはもともと友だち関係があり、宿主側が積極的にウイルスを招き入れているとも解釈できる、と。
「ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初期から存在したかと言えばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこからか流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ」
「なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速させてくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる」
「それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ」
「遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報交換と包摂に役立っていった」(朝日新聞朝刊2020年4月3日(金)“動的平衡 ウイルスという存在”)

コロナウイルスは、敵ではなくむしろ味方なのかもしれません。少なくとも、共にこの世にあるべき「私たち生命の不可避な一部」であって決して「根絶したり撲滅することはできない」存在のようです。

人間が世界を支配しているとの思い込み、優越者としての意識を忘れ、人間を万物と並列に置いたら、世界はどのような姿を見せるのでしょうか。

新しい思考を見出さないと、いけないように思います。
6月10日(土)17日(土)の2日、麦を刈りました。

6月より出稼ぎに出ているため週末1回で終えたかったのですが、南の畑と北の畑で小麦の様子が異なっていたため、収穫日をずらしました。
麦秋 南の畑
南の畑を刈った10日には多少緑が残っていた北の畑も、1週間後にはかなり茶色くなり、穂も垂れてきているものが結構ありました(実が乾き緑から茶色に変わり穂が垂れてくることで、麦が収穫時期を教えてくれます)。
麦秋 北の畑
去年2往復10分程度乗っただけのコンバインを使い、刈り取りをしました。30分で出来ると言われたところを1時間半掛けて、なんとか怪我をせず、作業を終えました。
北の畑 刈り入れ前 コンバインを運転する私 横
コンバインを運転する私 前から 北の畑 刈り入れ後
外側を回らなくてはいけないのに麦の間にコンバインを突っ込む(写真左下参照)などした1回目よりは多少要領を得、2回目は、依然として下手くそではありますが、3倍ほどの収量のあった北の畑を2時間程度で刈り取りました。

収穫は、南の畑が1.5袋、北の畑が4.5袋。

刈り取った小麦は軽トラに乗せ、翌日曜日に東京都あきる野市まで運び、知り合いの農家の乾燥機を借り、乾燥させました。
HARVEST on 軽トラ 乾燥機@山崎農園inあきる野市
乾燥機設定 38℃ 水分計 just12 ideal for wheat
乾燥機は下から温風を送るタイプのもので、グルテンが壊れるらしい40℃より低い38℃に設定し、水分量が12%になるまで乾燥させました。乾燥が不十分だとカビが生えるなど小麦の品質を損ないますので、重要な作業です。貯蔵なら14%で好いのですが、製粉するなら12%まで落とさなくては上手く小麦粉にならないと聞きました。

種まきから乾燥まで、なんとか一人で出来ました。

小麦は今、茶箱の中で眠っています。
旨味が乗ってくる秋になったら起こして、ビールになって貰います。
6月10日(土)仲間二人と、ジャガイモを掘りました。

11時集合。夏のような日差しの中、せっせとイモ堀をしました。昼休憩までは、暑かったですね。休憩が終わる頃から雲が出てきて、風も吹き、午後は涼しくなりました。
芋を掘る 芋を箱に入れる川口
芋を掘る伊藤さん イモ掘りました
強い日差しが無くなると、作業は楽になりました。人が楽であることが植物にとって良いことなのか、疑問に思いながら、土をスコップで掘ってはイモを取り出し、また掘ってイモを取り出し、を何十回と繰り返しました。

作業をしていると、次々に疑問が湧いてきます。

ジャガイモの花は、何のために咲くのか。
ジャガイモの花
花は、実をつけるために咲くのだろう。ジャガイモは、地下に実をつける。咲く必要ないのではないか。

種イモは、何のためにあるのか。
固いイモ ぐちゃぐちゃの芋
種イモが固いまま残っていたり、ドロドロになっていたり、一様でない。芽が出て育つための養分を提供しているのだろうが、いつまで必要なのか。根が出た後は、土から養分を吸うのではないのか。

「分からないことばかりだ」「ジャガイモの生理を知る必要があるね」
仲間と疑問をぶつけ合いながら、芋掘りを続けました。

一人で黙々と作業していると、疑問は湧いてきますがそれを誰かにぶつけることは出来ません。仲間といると、解を得られないまでも、問答をすることで更に考えを深められ、解に向けての手順を探すことが可能となります。

私たちの目指している、考える農業、です。

ハーベスト
残念ながら、不作でした。大きさが昨年の2/3程度、数は1/2程度で、概ね1/3程度の作柄です。仲間の意見は、畑が変わったので土に力が無かった、ということです。作業を終えて、お世話になっている農家の畑を覗いてみると、ジャガイモの茎は倍以上に太く、イモも大きく出来ていました。

家に戻り、イモサラダを作りました。
じゃがいもサラダ
手前味噌ではありますが、美味しかった。
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