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加賀山卓朗訳オリヴァー・ツイストを読みました。
オリヴァー・ツイスト切り取り
正直何の話なのかよく分かりませんでしたが、産業革命が生み出した人々の暮らしについて、何となく理解できたように思います。小説なので当時の生活そのままが書かれてはいないでしょうが、大英帝国の絶頂期だったいうヴィクトリア朝のイングランドにおいての富者と貧者の落差は、書かれていたようなものだったと理解してよいと思っています。

今その貧者は、どこに行ったのか。

疑問に思いました。シャーロックホームズにも阿片窟や貧民街が出てきますが、どのような経緯でロンドンは今のロンドン(といっても住んでいたのが30年近くも前で最後に訪れたのは15年程前のことですが、貧民街は無かったと記憶しています)になったのか。

国家が衰えていくに従って、国内の富の配分に変化が起こったのでしょうか。
それとも、大きな戦争が無ければ、生活に変化は起こらなかったのでしょうか。
あるいは、
別の国の誰かが、イングランドの貧者の地位を引き受けたということなのでしょうか。

もう一つ疑問。“ユダヤ人”という言葉がそこここにやたらと出てきますが、悪しき者、邪悪な輩としての“ユダヤ人”という観念は、今どうなっているのか。

プリーモ・レーヴィやハンナ・アーレントに接して、アウシュビッツ等で起こったことが個別特殊な問題でなく、普遍的な課題として捉えるべきだと考えるようになってから、日本に生まれた自分には理解が難しいのですが、自分の問題として考えようとしています。

建て前は措いて、差別が拠って来るところの階層的な思考から逃れる術はないのか、解を見つけたいと改めて思いました。

オリヴァーはローズやブラウンロー氏と幸福な暮らしを得て、話としてはハッピーエンドなのかもしれませんが、残念ながら読者はハッピーにはなれませんでした。
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あけましておめでとうございます。
初日の出
正月2日、3日、久しぶりに箱根駅伝を見ました。

ご存知の通り、最終区で大逆転がありました。その時監督が「男だろ」と声を掛けたと聞き、今時そんなことを言うんだ、と何とも言えない落ち着かない気持ちになりました。選手もそれに「よっしゃ」と応えて走った、ということです。私も男なので分からなくはないのですが、どうなのかな、と。

箱根駅伝の出場資格は男子に限られているようですが、サッカーでは男子チームに加入した女子選手も出てきています。

男だ女だという思考の枠組みから解放されたいと思うのは、私だけでしょうか。

駅伝とは全く関係ありませんが、先導の白バイを見ていて、あれっ、と思いました。ドイツ車です。日本のメーカーは作っていない、大型の電動スクーターなんだそうです(参照「衝撃!箱根駅伝の『白バイ』がいつもと違う!?」)。

海外では本気で自然エネルギーへの転換を進めているようですが、何故、日本は先に進もうとしないのでしょう。私たちの未来は過去の延長線上には無いので、今変わらなくてはいけないのに出来ることをしていないように思われます。

今年は、昨年以上に難しい年になると思っています。
思考を解放し、変化を生きて行きたいと思います。
今年はどのような年だったのか、掃除をしながら振り返ってみました。
マスクの狛犬と鳥居秩父市内の神社2020夏
個人的には、冴えない年でした。

春先より家に閉じこもり、鬱々と、最低だな、ここまで酷い人間なのかと自分に向き合っているうちに病気になりました。今、漸く回復してきたところです。

愚か者はさて置き、世界は大きく揺れました。COVID-19が猛威を振るい、人々の当たり前はどこかに消え去り、剥き出しの憎悪がそこここに顔を出し、私たちを翻弄しています。

私たちは、どこに行くのでしょうか。
私たちは、どこに行きたいのでしょうか。

イギリスのジョンソン首相は“there really is such a thing as society”と発言しました。その社会が何物であるのか、実は未だ誰も分かっていないように思います。

それは、サッチャー元首相が拒んだ権利のおねだりとは無縁な、彼女が求めた義務の履行を礎としている、しかし市場が無条件に信奉されない何物か、ではないでしょうか。
マスクの狛犬秩父市内の神社2020夏 
諸葛良孔明の天下統一の為の戦略として世に知られている「天下三分の計」ですが、孫策、孫権に仕えた魯粛は、天下は一つでなくて良いという全く新しい発想の基に、曹操・孫権・劉備の三者鼎立を考えたのだそうです。
(参照:「天下三分の計の持つ意味(「実は劉備は公明を信用していなかった?…三国志の伝説的「名君と名軍師」の実像」より)」)

漢という先の国家の継承や再興を求めるのではなく、今人々を支配している国家像を前時代のものとして切り捨てる思考法に惹かれました。

劉備の「現状をどうみるか」「なぜ曹操が強いのか」「これからどうすればいいか」の問いに対する「それ以外に選択肢がない」というスタンダードな現実解としての提案ではなく、中国は分裂していて良いという、過去を捨て現在をありたい未来の始点とするための立案。

所与を度外視して考える。

「どうありたいか」を「どうなっているか」から「どうだったか」を顧慮せず考えてみる。

私たちに明日をデザインするために、とても大事なことのように思えたので、書きました。
三国志3巻
巻3p191「北の方は曹操にゆずって天の時を占めさせ、南は孫権にゆずって地の利を占めさせ、将軍は人の和を占めんがために、先ず荊州を取って根本とし、その後に蜀を取って国を建て、かくて鼎の足のように三分の形勢が出来上がれば、中原(=中国)をうかがうこともできましょう」
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